「よう分かりましたね」
 南港が褒めてくれたので、御堂筋は、ちょっとした権力とツールを使ったことは伏せておいて、ありがとう、と答えておいた。別に悪い気はしない。自分が彼を探し当てるためにした努力は無駄ではなかったわけだ。
「四つ橋は」
「ホームで海見てはりますよ、駆け込み乗車はおやめくださいね?」
 彼女は長い髪の結び方からしてすべてが常人離れしているので、さきほどまでのように比較対象にしようとは思えなかった。だいたい比べる対象が四つ橋だというところからしておかしいのである。
 南港は芝居がかった仕草で上を目指すエスカレーターを指差しつつも頭を下げてくれる。
 どうもその格好が道化じみて、ああ、罠のようだ、気付かないではなかったけれども、結局御堂筋は促されてホームまで上がった。
 そうすれば確かに四つ橋はそこにいた。その髪が無事にまだ背中にぶらさがっていることに心底ほっとして、ああ、やっぱり困る、と御堂筋は思った。あれがあっての自分の静脈だ。たとえ本人がどんなコンプレックスを持っていたとしても、御堂筋は彼をあの見た目で定義しているし、四つ橋だってきっとそうだと思う。
 ホームは無人だった。平日の南港は、それほど昼間に込み合うことはない。
 御堂筋の靴音が響いて、振り向いた四つ橋は正真正銘の驚いた顔をして、咄嗟に先発電車に乗り込んだ。既に発車メロディが流れていたホームで、ああ、確かに南港としては駆け込み乗車を止めたくなるだろうと思いつつ、御堂筋も同じ車両に乗り込んだ。
 全面ガラス張りのホームドアだ。無人運転のニュートラムでは逃げるところもないだろう。それでもきちんと話したいと思う自分の青臭さにおかしくなった。
 車両の継ぎ目をくぐれば、奇遇なことに、小さなニュートラムの車両には他の誰もいなかった。四つ橋は御堂筋が同じ車両に飛び乗ったのを見ていたのに違いなかった。彼は諦めたように、どこか開き直ったようにロングシートに座っていた。
「どないして見つけたん」
「大人の事情」
「面倒な奴」
 四つ橋は深く聞いたりしなかった。御堂筋のとりうる手段は同時に、四つ橋の取りうる手段でもある。思いついているそれが真実だと遠巻きに告げなくても、彼は不機嫌そうに髪の裾を首の前に持ってきて毛先を弄っている。
 女子か。
 隣に御堂筋が座っても別に逃げようとも抵抗しようともしない。このあたりでは逃げるのに適したところもないだろうから、仕方がないのだろう。隠し事をして、手間は二倍、まったく、こうでもしなければ追いかけられていると言う自覚がもてないのだろうか。
「面倒なんはどっちや」
「別に面倒みてくれんでもいい」
「そうか」
 暗闇を走りなれた自分たちには少々曇っていたところで外を走る電車はとても新鮮だった。しかもとても高いところを走っているニュートラムである。ぼんやりと海が見えた。今日も積みあがるコンテナ、大阪の経済はそれなりに健全である。
 二駅くらい過ぎたところで、御堂筋は肩に重みを感じた。奇跡的な出来事のように思えたが、四つ橋が御堂筋の肩にこてんと頭を乗せていた。誰か人が乗ってきたら、即座にこの背筋がしゃんとなるのを分かっていながら、素直に喜んでいる自分が馬鹿みたいだった。
「嘘」
「何が」
「ちょっとは俺の面倒も見てよ、お兄ちゃん」
「誰が誰の兄や」
「知らん」
 むしろ他の誰の面倒を見ているわけでもなく、御堂筋は全力を四つ橋に傾けて生きているつもりなのだが、いくら言ったところで彼はそれを信じないだろうと分かっていた。だから、彼が珍しくこうやって御堂筋に体重をかけてくるときに、不器用なりに精一杯彼に触れてやるくらいしかできないのだ。
「お兄ちゃんなぁ」
 彼のもたれてくる頭ごとぎゅ、と腕で引き寄せると、分かりやすく四つ橋の体が強張った。これだけ近くに生きている二人のように見せて、いまだにこうやってそれらしきふれあいをするたびに固まってしまうなんて、いったい自分たちの関係性はどうやって定義されているといいのだろうか。
「あ、の、御堂筋?」
「何」
「何て、御堂筋が何してるの」
「駄々っ子の面倒見てるの」
「髪、ぐしゃぐしゃなる」
「ああ」
 文句を垂れる彼の体を一度離し、御堂筋はその髪を見た。首の付け根くらいから手持ち無沙汰に垂れ下がる髪は、御堂筋のようになにも意識していないわけではない、きちんとどうにか手入れされていることくらいわかるのだ。
 そして、何故彼が髪を伸ばしているか、明確な理由なんて知らなくてもいい。
「切るなら言えよ」
「え?」
「せめて俺に鋏入れさせてくれ」
 こちらを向いた彼の両肩を抱きすくめて、御堂筋は四つ橋の鎖骨の辺りに額を置いた。息を一つ吐き出せば、自分の皮膚のように馴染んでいるはずの眼鏡さえも彼との距離をつめるのにとても邪魔だった。四つ橋は躊躇って、それでも御堂筋の背中に片手ずつゆっくりと手を置いた。
「御堂筋がいやなら、俺、髪切ったりしいひんよ」
「でも、さっき」
「御堂筋は、俺と同じ髪型がいやなんかな、と思って」
「アホ」
 丁寧に四つ橋が言葉を選んで何かを御堂筋に説得してくれようとしているのが分かる。だから御堂筋は敢えて乱暴な口のきき方で、どうしたら彼に自分の心境が伝わるのか、常に探っている。何年一緒にいたのか数えるのも馬鹿馬鹿しいほど一緒にいて、それでもいまでもこういうことを互いに探らなければならない。
「俺も、お前も、その髪型でないともう落ち着かん」
「……うん、わかった御堂筋」
 御堂筋の首の重さを預かってくれていた四つ橋が、不意に力を抜いたのが、御堂筋にも伝わった。彼の安心に寄与できたのかよくわからなかったけれども、そうして御堂筋のことを受け入れてくれる四つ橋のことが嬉しかった。
 四つ橋の綺麗な髪が残る言い訳になるならば、いくらでもこの髪を伸ばしてやろう。
 御堂筋はそう思うのだ。

――切るのはなんとなく躊躇われた。

 御堂筋が髪を切ると言い出した日、同じ口で御堂筋が四つ橋の髪のことを褒めるから、ああ、そんなに似た見た目がいやなのかとぞっとしたのだ。それでも御堂筋はこうして四つ橋を探し出しに来てくれて、なんだか不安定な珍しいところを四つ橋に見せてくれている。それだけで十分だと思えた。
 幾度も繰り返す躊躇は、つまりただの構って欲しい物事についてのいいわけなのだ。面倒くさいのは自分だし、そうまでしないと構ってくれない御堂筋にも少しだけ腹が立つけれども、そんなことをいえるはずもないので、四つ橋はただ、彼を呼んだ。
「なあ、御堂筋」
「なに」
 幾つかの駅を通り過ぎて、そろそろ彼を引き離さないと終点についてしまう。それでもこの熱を感受できる時間が、あと三分。それだけ許されている。ならば、少々、何をしたって、いまの自分たちは許されるだろうか。
「口寂しい」
 果たして、飴をくれるのか、鞭をくれるのか、それ以上の熱をくれるのか。
 言った自分の顔はきっと赤いだろうから、御堂筋が顔を上げる前に、今度は四つ橋が顔を伏せるのだった。

オムニバス終着お疲れ様でした。南港さんが天井からへばりついてによによしてるオチでした。
20110315