「なにかほしいものはないんか」
 聞いてみたのは思いつきだった。ただ欲しいものがほんとうにあるならば応えてやっても良いと思っていたし、なにせ日頃一番世話になっている存在が北急に次いで彼だというのも大きかった。
 四つ橋はすこしだけ驚いた顔をした。言われ慣れないことを言われて驚くのは分かるけれども、そこまで甘やかしていなかっただろうかと言う事に少し落ち込んだ。それは一瞬のことで、いつも通り感情の動きは速い(そして御堂筋には読み切れない)顔を俯かせて、四つ橋は考えた。
 似ていると言われたら似ていると思う。つくりなんかは誰がそうしたのか、彼が差異を強調することを考えていなければ、横顔がぞっとするほど似ている瞬間があった。皮肉なものだ。こうして最初にあるべき姿をねじ曲げてまで自分に寄り添ってくれている彼の気持ちを受け止めること一つ出来ない。
 今日は四つ橋の開業日やで、と教えてくれたのは千日前で、そういったことをなんのかのとチェックしている女性らしさにまず感服した。それから、あれも祝って欲しいのかなぁと珍しいことを考えてみた。
 いままでもあまり構うこともなく放ってきた行事を突然に持ち出してみたことに理由はなくて、それこそ、気分だった。というか、御堂筋が四つ橋に何かしてやろうと思うとき、その殆どは精々気分で、本気だったことの方がよほど少ない。
 良く懲りないなぁ、これも、自分も。
 四つ橋が俯いているのを良いことに、御堂筋は小さく笑った。
「あんな、」
 そんな目で見られていることに気づきもしない四つ橋は、俯いたまま声を出した。声だけは似ていないと良いなぁ、と思う。なぜなら、御堂筋は四つ橋の声が好きだからだ。ほんとうはほかの目で見て分かるパーツも嫌いではないのだけれども、どうしても自分の影がつきまとう。その点、声だけは、すぐに確認する手立てがない。
「一緒に寝て、ほしい」
 さほど驚かなかったのは、どうしてだろう。
 自分たちは生物ではない。繁殖行動だって必要ないと言えば必要ない。だから、御堂筋が四つ橋を抱くのは、それこそ気分が向いたときだけだった。別に他の物でも良いのだけれども、はっきり言ってしまえば面倒だから、それだけを理由に四つ橋を選んでいる。
 選ばれる方はたまったものではないだろうに、四つ橋は文句一つ言わずに御堂筋の要求に応じてきた。ひどい話、やりかけたものの途中で気が散って最後までやれなかったことだって、ある。その理由も何となくは知っているけれども、言わせればそれに応えられないことを知っているので、敢えて何も言ったことはない。
 卑怯なものだ。
「……いま、夜、どっち?」
「御堂筋が暇なときで良い」
「我が侭言いなさい」
「無理や」
「ほな、いまな」
 戸惑う姿を見れば愛してやれたらと思う。自分がいろいろとうまくやってやれないからこんなにも苦しめていると言う事についても自覚がある。それでも、御堂筋にはうまく感情と理性の折り合いをつけることが出来ない。
(大切なものは一つしか選べない)
 四つ橋は顔を上げない。
 自分は何時だってその顔を見ている。彼が一番大切だというわけではないから、彼の顔を見たって平気でいられるのだ。まったくもって、人でなしであるとしか言いようがない。

 四つ橋はすぐに声を殺す。
 あわよくば顔だってすぐに隠そうとする。後ろから持ち上げた腰に突き入れる姿勢だともともと顔が見えないものではあるが、それにしたってかたくなにシーツに顔を押しつけて睫毛の一本も見せまいとする態度は気にくわない。
 全てを知っているのはシーツだけではないのだ。
 御堂筋だってそうだ。
「四つ橋」
「ん、な、に」
 息も絶え絶え、といった風情で、呼びかけに応える彼は、その喉元からとろとろと溶けたような甘い音を出す。それなのにその姿を見せないなんて、卑怯だと思う。
「顔、見せて」
「いや、や」
「なんで、どうせ俺眼鏡外してるんやから、なんも見えへんよ」
 言いながら、それこそ四つ橋がどうしようもなくなってくれることを祈って、奥まで自分のものを突き入れた。途端に、会話をしていたせいでわずかに浮いていた首が、のけぞって、あああ、という高い声を漏らした。
 やはりこの声だけは、似ていて欲しくない、と思う。
 自分たちがこれほどなにからなにまで似ていなければ、四つ橋だってもっと違うあり方を選べたかも知れない。そうであれば、御堂筋なんかにここまではまり込んで、ずぶずぶとどうしようもない恋愛を知らずに済んだかも知れない。
 それはそれでどうだろうか、と思った。
 御堂筋の気持ちが四つ橋の方に向くことは多分ないだろうと思う。御堂筋にとって大切なものはたった一つだけ、自分たちが走っているこの大阪の街の発展に寄与できること、この街の人たちにとって便利な足であること。地下鉄として生まれもったアイデンティティとプライドが同一化してこりかたまってしまった価値観はいまのところ逸れる予定がない。
 四つ橋だって似たような考え方を持って生まれてきたはずだ。実際に御堂筋が何らかの理由で動けないときに、自分が動かなければならないというその使命感に関してはむしろ御堂筋の方が一目置いているくらいだ。そんな彼がどうして自分なんかに焦がれているかと言えばまるでそれは街灯に集う蛾の如き必然なのかも知れないと思う。
 繁殖行動なんて必要ない。まして自分たちは雄同士。
 ではなぜそれでも、これを手放せないのだろう。
 思考はいつもそこで壁にぶち当たり、なぜか先に進めなくなる。もどかしさを振り払うように御堂筋は背中にへばりついた髪を払い、膨らんだ背骨に口づけを落とした。まだ夏にはほど遠いはずの日付なのに、大阪の昼間は既に暑くなり始めていた。ましてこの体を分け合う熱は上昇するばかり。
「や、駄目、」
「なにが」
「背中っ、」
 シーツに押しつけていた顔を上げて、自分に非難してくる四つ橋が、漸くこちらを向いたのが嬉しかったので、御堂筋はその肩を押しつけて表に向けた。とはいえ、交接したままの部分には負担がきつすぎるので、四つ橋はこめかみをシーツに押しつけるようにして体の側面をシーツで支えている。その上にある方の足を、御堂筋は自分の肩で抱え上げた。
「ちょ、きつい」
「きついほうがええやろ」
「なん、で」
「何か考えるのは止し」
 なおも何か言いつのろうとする四つ橋の言葉を振り切るように、腰を押しつける。半端に体を傾けられて、声を庇うものを無くなった四つ橋が高い声を上げた。中途半端な体勢が辛いのだろう、縋るものを求めるように伸ばされた腕に、御堂筋はあっさりと自分の首を貸した。
 首の後ろに引っかけられた手が支えとなって、四つ橋は御堂筋を求めるようにぐいぐいと御堂筋の体を引きよせた。いつだってそんなふうにしてくれたら、自分ももしかすると考え方を変えられるのかも知れないと思った。だがたぶん無理な話だろう。四つ橋がいつもこうやって甘えているところも想像できないし、まして、自分が四つ橋だけを甘やかしている様なんて言うのは、間違いなく天変地異だ。
(どうして、こうなるかなぁ)
 いっそそれならば、この体が甘いことを知っていてもいけない気もする。
 だが踏み込んだ四つ橋の体の中はひどく熱くとろけて御堂筋を誘い込む。見たところ四つ橋だって御堂筋に突き入れられるのは嫌いでないようだった。つまりそれはそういうことだ。
 相性が悪いように出来ているはずもないのである。
「四つ橋」
 呼んだって帰ってくるのは意味もない、あ、あという高い声だけである。
 もっと自由にしてやれるならばしてやりたい。
 他の誰かを好きになったって良いのだ。
(嘘)
「四つ橋」
 重ねて呼べば、首を傾げながら、声を堪えきれないらしい四つ橋が、それでも御堂筋のことを見上げてきた。快感をしのぐように細めた眼がたたえる色気は一体何処で手に入れたのかと聞きたい。
 ああ、もし自分以外に彼が抱かれていたら。
(ひきころしてやりたくなりそう)
 大切にしたいものは、この街。
 そして、独占していたいものは、この彼。
 四つ橋の性器に手を絡めれば最後、もう何もかも分からないように髪を左右に振りしだく彼が、意味もなく、御堂筋、と声を上げて呼んでくれた。それで感じる余裕はこっちにだってあるのに、どうして自分たちはいつもこうやって回りくどいところを旋回し続けているのだろう。

 汗で貼り付いたシーツに散らばる髪を見るのはほんとうは好きだった。
 生まれ持ったパーツが似ているのはかわいそうだと思う。声なんかはむしろ違っていなければ気の毒だと思う。相対して、この髪だけは、四つ橋がはっきり自分の意思で御堂筋に似せているものだから、御堂筋がその気になって独占した気になって、うぬぼれていても何の問題もないのだ。
「み、どう、すじ」
 まだ声が乱れたままの彼は、さきほどまで御堂筋に巻き付けていた腕をいまはシーツの上にパタンと落とし、ほのかな熱気に当てられて肌が上気していた。目の毒だなぁ、と思った。どれだけ見た目が似ていると言われても、これを見たらそんなことはどうでもいいけれども、ただひたすら可愛いなぁと思うのだ。
 実に病的である。
「ありがとう」
「何が」
 御堂筋は心底吃驚して尋ね返した。
 礼を言われるようなことをした覚えはない。こんなふうに我が侭な抱き方しかできない自分は碌でもないと考えていたはずなのにそんな言い方をされてしまうと何かを勘違いしてしまいそうな気がした。
 四つ橋は、それでも言い切るのだ。
「御堂筋が、俺といる時間作ってくれたん、うれしかった」
 なんてことを言わせるのだろう。
 それでも御堂筋の胸に去来するのは恋情によるなにかではなく、たぶん、これはかつて幼い頃から面倒を看ていた弟につらいことを言わせた罪悪感なのだと思う。そのあたりの感覚を理解できない自分の何が足りないのか、分からなかった。たぶんなにもかもが、足りてないのだとは思うけれども。
「たまに、やからな」
 そんなことを言ってやれる程度がせいぜい関の山だ。
 四つ橋はそれでも笑うので、自分たちはよっぽど傍目には可笑しいのだと思う。

四つ橋さんが嬉しいなら四つ橋誕でいいと思っている(正直スイマセンでした)
20110510