遠くで聞こえた音が気のせいではないような気がする、そんな不思議な目覚め方をした。起きたときに周りはまだ暗く、ああ、不意に夜中に目を覚ましてしまったんだな、と御堂筋は知覚した。
 あれだけ市街地を焼け野原にしてくれた戦争も、無事にとは言えなかったけれどもひとまず終結した。そうなれば交通局に出来ることは、とにもかくにも、予定されていた新しい線路を通して電車を走らせ、人の役に立つことだった。きちんとした地下鉄になる支度をしている谷町や中央も、子どもとは思えないほどにぐるぐると自分のことのために働き回っていた。御堂筋もそちらの手伝いに回り、まだ幼い姿をした四つ橋が、むしろ既存路線のことを任されているような体たらくだ。
 もうすこし、すべてが軌道に乗れば、たぶんもうすこしばかり楽になる。毎日はっきりそう言うわけではなかったが、彼らはそれを信じてせっせと交通局のために働いてくれていた。それはひいては市のため、市に住む人のためであり、御堂筋はいまの身の回りの地下鉄たちの尽力に、こころから感謝していた。
 さて、暗い部屋でまだ視界も定かではなかったが、何かあったのだろうかと御堂筋は身を起こした。物取りでも入ろうものならば事だ。御堂筋はなるべく音を立てずに起き上がったつもりだったが、それでも寝台はきしむような音を立てた。それに反応するように、外の気配がびくんと震えたのが分かった。物取りだとすれば随分と小心だ。なんだろうと思いながら御堂筋はじっと待った。
 交通局の夜は静かだ。夜はダイヤを動かしていないのだから当然と言えば当然だが、外の奇妙な気配と張り合いながら御堂筋は考えた。一度御堂筋が物音を立ててから、外の気配はまるきり動く様子がなかった。そもそも御堂筋がふっと目を覚ましたときだって、すぐ外に何かが居ると思ったのだ。ということは、誰かさんの目的物は自分だと言うことになるのだろうか。
 たとい普通の子供ではないにしても、この建物の中では子供の姿をした何人かの路線が眠っている。もしも物取りよりもタチの悪いことを考えた余所者であれば、間違いなく子供の方に目を向けるだろう。そういう意味では自分が目標なだけ幾分マシだったかも知れない。
 どうしたものか、と思った。誰が起きているか分からないが、とりあえず内線電話は生きている。それならば受話器を上げて助けを求めれば応援は呼べると思う。しかし、相手がほんとうにそういった目的でこんなところまで来たのか分からない。そもそもこんなにも建物の内側をうろついている辺り、外に何かあったのかも知れない。
 考えるうちに、御堂筋はいろいろと面倒になってきた。
 ごほんと咳払いを一つ。また外の気配がびくりと反応したようだった。だいたい誰かや何かを害しに来たというならば、こんなところで突っ立っていることの方が可笑しい。なにか思うところがあるのだろうと決めつけて御堂筋は寝台を降りた。
「何の用や」
 有事に誰かが起こしに来るかも知れないことを想定して、御堂筋は部屋の鍵を滅多に閉めていなかった。交通局の職員ならば誰でも知っていることだ。不用心だからやめてくださいと怒られたことは数知れず、とはいえ職員の誰も御堂筋のそう言うこだわりを覆す事なんてできないということをよく知っている。
 もちろん余所者ならばそんなことは思いつきもしないだろうと思って声を掛けたのだが、予想外にもドアノブは回った。おや、と思っていると顔を出したのは自分とよく似た顔の子供だった。
「四つ橋」
「起こしたん、ごめん」
 こんな時間に部屋の外で何をしているのかと驚いて、御堂筋は部屋の入り口まで行くと、四つ橋の目線まで屈んだ。夜中だという自覚はあるらしく、後ろ手に扉を閉めた四つ橋は不安そうに目尻を下げた。
「そんなんはええけど」
「うん」
「どないしたん、こんな時間に」
 寝ぼけているわけでもなくきちんと起きるつもりであったのか、四つ橋は眼鏡まで掛けていた。まだ小さな子供にもいろいろと思うところがあるのだろう。既存の線路を走らせることに必死でいてくれている彼は紛れもなく御堂筋にとって一番仕事のことを分かってくれる存在だった。
 無茶を強いていることは分かっていた。彼だってあんな戦争の最中に生まれて、碌に鉄もない中でとにもかくにも自分の身体を呈するべきところに呈している。身体の小ささが生まれたときの不運さを反映していなければいいとずっと御堂筋は思っているのだが、四つ橋は多分それを知らない。
「あんな」
「うん」
 四つ橋は子供の姿をしているくせに碌に甘えたことのない子供だった。
 状況がそれを許さないことを差し引いても、この性格だからきっと素直に誰かに甘えると言うことを知らないまま生きてきてしまったのだろう。自分がその環境を招いたのだとしたらどうやって責任を取ったものかと御堂筋は思う。思うけれども、具体的な方策なんて何も浮かばなかった。
「怖い夢を、見て」
「うん」
「起きちゃって」
「うん」
 そのせいで御堂筋は、四つ橋の話す言葉の一つ一つに、細切れに頷いてやる以外のことが何も出来なかった。どうすれば彼が安心してくれるのかが想像も出来なかったのだ。
 俯いたまま話す四つ橋は御堂筋に手の一本を伸ばして来すらしない。あるいは伸ばし方を知らないのだとしたら、伸ばしてはいけないのだと思ってしまっているのならば、それは好ましくないとだけは思った。
 御堂筋はぽん、と四つ橋の頭に手を乗せてやった。ひどく驚いたように目を見開いた四つ橋の顔を上げた瞬間を忘れないだろうと御堂筋は思った。よく似た顔をしていると言われても、御堂筋にはもうあんな純粋な目は出来ないだろうと、そのときに思ったのだ。
「それで、どないしたん」
「御堂筋、あんな」
「うん」
「……なんでもない」
「ひとりで寝るの怖くなったん」
 一般的な子供が、その親のつないでくれている手からはぐれて迷子になったとき、どういうことを言うのかと御堂筋は思い出していた。天井が出鱈目なほどに高い御堂筋の駅のホームで立ち尽くす子供は、いつもその庇護者を求めて大きな目にいっぱいの涙をためている。
 四つ橋がそういう顔をすることは、何も今までもなかったわけではない。ただ、不安げな顔を浮かべながらも、たいていの場合自分で何とかしてしまおうとするその根性のすわってしまった顔でぎりぎりと歯を食いしばる四つ橋に、手をさしのべたことはなかったと思う。
 ただ、ここは夜の、他に誰もいない部屋で、四つ橋が真っ暗な廊下でじっと自分に声を掛けて貰えるまで待っていたのかと思うと、何もしないで居られるほど御堂筋は人が出来ていないわけではなかった。
 御堂筋の問いかけに四つ橋はぷるぷると首を横に振った。とはいえこのまま部屋に戻らせるのは御堂筋としてもできなかった。明日また起きられなくなってはかわいそうだし、そもそもそれ以前に御堂筋を縋ってきた子供をこうして放っておけるほど人でなしではない。
「おいで」
 御堂筋は立ち上がり、四つ橋に手をさしのべた。四つ橋はびっくりした顔で、立ち上がった御堂筋のことを見上げてきた。こんな小さな子供と同衾したくらいでは、さすがに誰も彼も御堂筋を責めたりはしないだろう。まして、御堂筋と四つ橋の関係なんて、本人同士にしか分からないことだ。
「なに?」
「ちょっと冷えるからな」
 腫れ物にでも触るように四つ橋は御堂筋の手に手を乗せた。こんな仕草を教えておくのは後々拙いだろうかと思ったが、かといって四つ橋がそんなふうに淑女扱いをされる機会なんてなかなかないだろう。
 布団をはねのけた寝台に御堂筋は四つ橋を乗せてやった。小さな子供だと思えば何のやましさもないし、それがあれだけ小さな頃から面倒を看てきた四つ橋だと思えばなおさらだった。あとあと、そのやましさのないところがいけないんだ、と本人のあずかり知らないところで責められるのはまた別の話。
「え」
「湯たんぽ」
 四つ橋の頭をもう一度撫でながら御堂筋も布団に潜り込んだ。自分が横になるのと同時に、小さな子供の身体を抱えて引き倒す。ぬいぐるみのように造作もないけれど、なにか緊張しているように身体は硬かった。
「ちゃんと起こしてや、四つ橋」
「う、うん」
 たぶん御堂筋は、あとから考えると寝ぼけていたのだと思う。だからそのあと四つ橋がどんな顔をしていたのかも良く覚えていないし、四つ橋が何か言ったような気がしたけれどもそれも聞き取れていない。すぐにすうすうと眠りに落ちた。
 睫毛が触れるような近さに四つ橋の顔があったような気がしたけれども、きっと気のせいなのだと思う。

 明け方、ごく普通に目を覚ましたとき、四つ橋はまだ御堂筋の腕のなかで、行儀良くすぴすぴと寝息を立てていた。そうそう、子供というのはこれくらいに健やかな様子を見せてくれなければならない、と思って、御堂筋はすこしだけ破顔した。
「ええ子に育ち」
 それが一番嬉しいねん。
 独り言は朝日と共に消えていった。

 さあ、始発の準備をしよう。

御堂筋誕でしたよ
四「この天然タラシ」
御「昔はあんなに可愛かったのに」
大市交一同「めんどくさい」
20110520