ぱち、と目が覚めた。存外目覚めはよかった。二度瞬きをして、いま、自分がUFJの自宅である、赤坂見附のマンションにいることを理解した。メゾネットタイプのマンションは、若い男性が一人で暮らすには些か広すぎるが、彼が彼であるゆえんを考えれば不思議はなかった。成金趣味だなぁ、と思うだけだ。
「あ、みずほさん、起きました?」
隣に座ってパソコンで何かしていたらしいUFJが振り返った。自分がみずほを昏倒させてここまでつれてきたのに違いないのに、ずいぶんと白々しい態度だと思った。それを非難するほどの女々しさは持ち合わせていないが。
「何時だ」
「19時です」
質問に答えてUFJはテレビをつけた。数年前にはスポーツを読んでいたキャスターが、今や夜の国民的ニュースの顔である。ちょうど番組が始まったところらしく、時事をレポートビデオを交えて放送している。みずほ個人がUFJにさらわれたからと言って、銀行の異変のニュースなどはなにも流れていないようだった。
「ご飯食べられますか? 一応したくはしてあるんですが」
UFJの言うとおり、部屋には何となくいい匂いが漂っていた。みずほがあまりたくさんは食べられない状況なのを見越してだろう、脂っこい雰囲気ではない。けして食が細いというわけではないが、食に興味がないみずほには、UFJの手料理はいつもそれほど感動してやれない。一応、申し訳ないとは思っている。
しかし、まず、いくつか聞かなければならないことがある。
「私は、どうされるのだ」
きわめて客観的な聞き方になった。
みずほは自分の肉体がどうなろうとも、正直なところ自分の銀行自体は維持できるということをわかっていたので、なにをされてもそれなりには耐えられる自信があった。それに、UFJが本質的にみずほをどうこうできないということは、経験からわかっていた。
みずほにしてみれば、UFJが自分の体をどうにかできるチャンスは、今まで何度も与えてきたつもりだし、抱かれたことだって一度や二度ではない。それでもいままで一度も決定打を打たなかったのはUFJだ。それが今回に限って突然みずほを痛めつけるだとか、そういうことは、たぶんないと思っていた。
「相変わらず、余裕、ありますね」
「お前が私の余裕をなくすようなことをたくらんでいるというのならば、話は別だが」
「いえ、みずほさんだって、オレがみずほさんを壊すなんてできないこと、よくご存じでしょう」
まったくもってUFJの言うとおりだった。
だからこそみずほは、こうしてUFJにきわめて危機的だと思われるような状況に追い込まれても、至って平然としていられたし、UFJだってみずほがベッドから起きあがって座っていても何か動こうだとか、拘束しようだとか、そういうことはしない。自分の嫌な余裕は、彼にどう見えるのだろうかとだけは、少し思った。
「なにをなさっていただいても構わないんです」
UFJはベッドに腰掛けるみずほの前に、ひざまずいた。その仕草が余りに自然なものだから、みずほはまるで自分が女王で、彼が騎士であるかのような錯覚をした。
「ただ、この部屋から出ないでください」
「なにをしても、いい?」
「ええ、この部屋にあるものは好きに使ってください。みずほさんのことだから全部読んでるかもしれないけど、本とか、CDとか、結構ありますから。ちょっとした休養だと思ってください」
「そんなもの、なにもお前の部屋でなくてもできるだろうが」
「オレが、みずほさんといたかったんです」
そういって話す表情にはなにも思い詰めたようなところはない。けれども、みずほは覚えていた。気を失う直前、身を切るような声で自分を呼んだ彼の声。甘い香水を隠せもしないで、自分に対する感情をたたきつける彼。みずほの受容器官が麻痺しているばかりに、UFJが幾度なにをぶつけてきても返すことができない、その事実だけはUFJだって自覚していた。
「ネットもいいのか?」
「いいですよ」
当然のように言われて、みずほは少しおどろいた。ネットが使えれば、みずほが自らの居場所を発信して、誰かに助けを乞うことができるではないか。みずほの疑問を見透かしたようにUFJは笑った。
「みずほさんがここから逃げたいというのなら話は別ですが、オレがなにもしない限りみずほさんはここから自主的には逃げない。違いますか?」
「お前に見透かされると不快だな」
「ふふ、ご飯食べますか?」
「ああ」
立ち上がって気づいたことには自分のスーツは壁に掛けられていて、身につけているのはUFJのものらしい高級ブランドのスウェットだった。スウェットなんて家でしか着ないのだから、安物でいい、と言ってしまいたくなるみずほからすれば、理解できない次元に、彼はいつだっている。
理解し合えないのはお互い様なのに、お互いを放棄することをしない。いつまでも続く関係は無様だ。何年生きてきているのかわからない自分たち同士で、何かを求めるように手探りでふれあうなんて、子供でもあるまいに。
「UFJ、飯は何だ」
「サラダは買ってきました。スープはコンソメ、鮭をムニエルにしようと思うんですけど。良いですか?」
「良い」
嫌いなものなどもともとないし、UFJはみずほの好みをとっくに熟知している。二人は完璧に違う次元にいて、このありえてはいけない状況にあるのに、それなのに、みずほはどうしてか、この小さなゆがんだ世界に居心地の良さを見いだしてしまっている。
(恋と言うには、あまりにも今更すぎる)
「みずほさん」
沈黙が続きすぎたのだろう。UFJがいぶかしむように自分を呼んでから、振り返って、完璧すぎる笑顔で自分を見る。身動きができない自分の耳を淡々とアナウンサーの声がたたく。そして、UFJのキスを甘受する。
「居心地が、悪いですか」
「よすぎて、怖くなる」
「それは、都合がいい」
UFJの表情に感じる違和感を押し殺せない。彼はこうやって笑う男だっただろうか。けれどもこの都合のいい、自分がさらわれた世界で二人だけという状況ならば、そんな些細なことはどうでもいいように思えた。
「オレ、みずほさんがいてくれて、幸せです」
彼の部屋に自分がいるというこの状況を、おかしい、と思えない自分がどこかおかしいのは、分かってはいた。
次はR指定シーンがある予定なので扱いをどうしたものか。
20100512
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