プリンと東海道と山陽
昼の休憩のおりに山形が買ってきた,というプリンは,夕方になって自分と山陽が戻るときには既に残っていないかもしれない,と東海道は予感していた。なんといっても高速鉄道の休憩室には実は甘い物に弱い東北だとか,傍若無人な上越だとか,大食いの秋田だとか,かわいい長野だとかが出入りするわけである。東海道のぶんが残っていないことだって存分に有り得るではないか。
そんなことはおくびにも出さなかったつもりなのに,自分より一歩先を歩く山陽が休憩室の扉を開けるにあたって,振り返って東海道に対してため息をつくのだ。
「残ってなかったらオレが買ってやるから,へこむな東海道」
「わたしはへこんでなどいない!」
とりあえず言い返しておいて,山陽があけておいてくれた扉から休憩室に入る。荷物は机において,そこに置いてあったメモを見やる。
「れいぞうこにプリンが入っています」
長野の字だ。
普段ならばそうやって長野がメモを残してくれたことに感動したりするのだろうが,しかし今ここはプリンの方が勝つ。東海道は持ち前の素早さで冷蔵庫の前に飛んでいき,がちゃり,と扉を開けた。
あった。そこに。日本を代表するなめらかプリンが。
プラスチックカップは3つ残っていて,取り出してみるとビニールのふたの上に付箋が貼ってあって,それぞれ,東海道,山陽,山形,とこれは秋田の字で書いてあった。東海道と山形の付箋が貼られたプリンはごくふつうのたまごがおいしいとろけるプリンで,山陽のはいちごだった。
ここで東海道はぐっと黙り込む。
「冷蔵庫開けっ放すなよ」
いつのまにか後ろに来ていた山陽が声を掛けてきて,それもそうだと思ってとりあえず机の上に東海道と山陽の付箋の貼られたプリンを出した。出して,冷蔵庫の上に置いてあったプラスチックスプーンも出した。そして,止まった。
「東海道?」
「なぜわたしは普通のプリンでお前はいちごなのだ」
「ばっか東海道ちゃんそれはオレがかわいいからに決まってるじゃない」
「黙れ」
何の感慨もなくビニールを剥いていく山陽の手元から目が離せない。別に欲しいなんて思っているわけではないのだ。ただちょっと,そのうっすらとした桃色がおいしそうだなぁと思っているだけで。
ふたを外して,山陽はおもむろにため息をついた。お前いちごプリンの前にため息を吐くとは何事かと説教をしてやろうかと思ったが,それ以前に山陽に言われてしまった。
「東海道ちゃん,オレおなかいっぱいだから一口だけ食べたいわ。あと残り食べてもいいけど,よかったらもらってくれる?」
自分はそんなに大人げなかっただろうか。
「あ,でも,東海道の普通のプリンも食べたい」
ひとくちだけね。
それで留保条件を出したつもりで,もう東海道を許してしまうつまりの山陽が憎たらしくて,仕方がないからそうしてやろう,とせめて尊大に言い放っておいた。
プリンと東北と上越
「まったく,僕は別に要らないって言ったじゃない」
また裏腹な言葉,態度。じゃあその手のなかのキャラメルプリンは一体何か,と追求しなければならないほど東北は性格が悪くなかった。上越と違って東北はけして決定的に性格がひねくれているわけではない。しかし上越と違って東北は上越に対してありえないほどの執着を持っている。それに上越が気づいているかどうかはさておき。
つまるところ,自分に関係のないことについてはどうでもいいと思ってばかりいる東北だけれども,必要ならばいくらでも執着できる。上越がどうしたいかだって理解できる。
山形が休憩室に持ち込んだプリンを見たとき,自分よりも先に声を上げた長野を相手にさすがにその性格の悪さを以て戦えないと判断したらしい上越は,早々に休憩室を引き上げた。山形だったら一人一つ買ってきてくれることくらい判断が付くだろうに,そうやってプリンを食べる自分を周りに見せたくないとでも言ったところか。
「そう言うな,折角山形が買ってきてくれたんだ」
自分は抹茶プリンのビニールの蓋を剥いて,東北は答えた。ついでに左手に抹茶プリンのカップを持ったまま,右手で袋のはしを,歯で逆のはしをつかんでプラスチックスプーンの包装を剥く。
ここは上越の執務室なのだが,他の面々はめったなことがないと立ち入ることがない。上越がその私的領域に足を踏み入れることを許している数少ない,というかほぼ皆無の対象である東北は,上越が休憩室で一度だけ目線を遣ったキャラメルプリンと,自分の食べるぶんを持って迷わずにここへきただけだ。
「君は本当に悪趣味だね」
「どうして」
「こんな僕なんかにわざわざ」
いつも似たような言い分の彼を丸め込む気力もないので,抹茶プリンにスプーンをさしこんで,すくい上げたやわらかな部分を上越の前に差し出す。反射的に口を開けた上越にプリンを流し込んだ。
「理由なんてない。強いて言うなら意地だ」
抹茶プリンを嚥下した上越が耳を赤くしたのは,すこしだけ卑怯だと思った。
プリンと宇都宮と高崎
「何その食べ合わせ」
思わず顔を顰める。我らが愛すべきNEWDAYSの半透明の袋のなかには,グレープフルーツの缶チューハイとプッチンプリン。プリンだって世にたくさんあるなかに,よりにもよってプッチンプリンというのが高崎の趣味にもほどがある。そもそも同じ傘下だからNEWDAYSに流行ってもらわなければならないという心境はわかるにしても,そんなどこで買っても同じものをわざわざ定価で買う高崎の横着さが信じられない。そして忘れてはいけないけれど,そのひどい食べ合わせが信じられない。
宇都宮の非難を首を一つかしげてスルーして,高崎は答えた。
「だって俺の夜食だし」
夜食って,夜食の時間に僕が一緒にいることに疑問は持たないのね,とことさら口にはしない。ちなみに宇都宮は勤務の隙間に夕飯を摂ったので(というか,だいたいの在来線は,朝はそれぞれ,昼は社員食堂,夜はラッシュを見送る頃にへとへとになりながら駅ナカで食事をとるものだと決まっている),高崎に持たせた袋のなかに梅酒ソーダの缶が一つだけだ。
というかたぶん在来線の宿舎には何らかの缶入りの酒があることは想像に難くないのだけれども,それなのにわざわざ終電直前の閉店間際のコンビニに寄ったのは,高崎がどうしても食べたいものがある,というからだ。
それが,プッチンプリン。
しかも,缶チューハイと,プッチンプリン。
「まあいいと思うけどね」
ため息を一つ。高崎の味覚が若干崩壊しているのは大昔からだ。そこからは特に会話もなくて,会話もないことが普通で,宿舎の鍵を開けて,今日は高崎の気分が部屋に戻る前に逸っていたようで,だから共用スペースの長いすに二人並んで掛けて,ぷしゅ,鈍い音で,かん。
「おつかれさん」
「あーうめー」
高崎が年相応でないうめき声を漏らす。宇都宮は呆れてもう何も言わない。代わりにひとくちだけ飲んだ梅酒ソーダの缶を差し出すと,うれしそうな顔で高崎は缶チューハイを差し出してくる。
(間接キスとか言ったらどんな顔するかな)
そんな自分の心境を直接えぐるようなことはとても言えないけれど。
代わりに,梅酒もうめーとかくだらないことを言っている高崎の口は綺麗に無視をして,袋のなかからプッチンプリンを出して,そのアルミの蓋を剥いてやる。そしてはい,と差し出すと,宇都宮にだけは,まるで花が咲くように見える鮮やかな笑顔で,高崎はサンキュ,と礼を言った。短いプラスチックスプーンが黄色い流動体に差し込まれ,そして高崎の口に運ばれる。
長いすの二人の間にひんやりとした缶が置かれる。手に触れる結露の湿り気が移る。宇都宮にとって,それは言えば一つのきっかけのようなもので。
「一口ちょうだいよ」
するっと口から滑り出た言葉が,違和感など何もないといい。だって,直前に二つの缶で間接キスって考えたから,なんて。そんなの,許せない。
高崎は幸いいつもの宇都宮の戯れ言だと判断してくれたらしい。しょうがないなぁ何で俺が宇都宮にあーんしなきゃなんだよ,とか言いながら,プリンをひとすくい,宇都宮の方に差し出して,
「あーん」
あまり甘やかに言うものだから,宇都宮も素直に口を開いて,滑り込む甘さを舌で撫でる。するり,喉の奥を落ちていくプリンは,甘すぎて,そう,食べ合わせで余計に甘さが増してしまったから,だからだ,と宇都宮は言い聞かせた。
目の奥の方がじんわりあつくなって,泣きたいくらいしあわせな気持ちになったなんて。