痛みは時に愛に勝り

 信じがたいことに,数え切れない回数を,この男と共にした。
 妙なところで貧乏性な私鉄が二人そろうものだから,いつも使う場所も一緒,ポイントカードはたまに室料割引に使う。そんなことをするくらいならばどちらかのスタッフルームでも使えばいいのだが,あいにく折り合いの悪い二人はどちらのテリトリーにも入りたがらない。営団が羨ましい,と国鉄の高架下,北西へと抜けながら不意に呟いた西武池袋には不本意ながら頷いた。彼らと来たら一人一つの宿舎の部屋に,池袋駅にも休憩室があったりして,東上には届かない世界に思えた。
 昼間不意に目が合う。
 その瞬間に降ってくるイマジネーションは大体が下らない。
 似たもののある男だとは思う。失ったものの多さも,得たものの多さも,それらの性格や色彩も,だから最後まで絶対にわかり合えない。なぜなら互いに奪い合うべき存在だからだ。他の誰と心境をわけあえてもこの男と手を組むことはけして有り得ない。考えるだけ無駄なことを考えるイマジネーションは懐かしい色彩だけが飛び交う。
 基本的に会話などない。ただ目が合う。その意図を良く読めるのは結局一番長いあいだ,その意図を読もうとしていた相手だからだろうか。池袋駅の雑踏を,ただ無言で抜ける。まるで他人同士のようなふれあいのなさで,スピードだけが加速する歩数で,いつものように都会から逃げる二人のような,折り合いの付かない二人のような。
 池袋駅は駅前を抜けて大きな建物をいくつか抜けると突然静寂が訪れる。昼の光に照らされたネオンはまるで廃墟のようだ。それでもそこに本当の廃墟はない。本当の廃墟は自分達がいくつもかかえている。
 ただその色彩を分け合えないだけ。
「歩くのが遅いぞ」
「リーチの差だ」
 ぎゃんぎゃんと喚き倒すのは他の人間の前で,面倒なので短く返す。意外そうに視線が流れた。体を揺さぶるときにその隠れている目が見えると,ああ,現実を見ない目,とひっかいてやりたくなる。
 行く先は少しこぎれいな,やることをやるためのホテルだ。初めなどもう忘れた。毎回同じところを使うのは,ポイントカードを作ってしまったからだ。フロントがなくて見とがめられないのも気が楽だ。
 磨りガラスの自動扉をくぐる。適当に下層階で安い部屋を選ぶ。エレベーターに乗り込んでもまだ無言だ。大体,目があったとき,先に動いた方がのし掛かる。重力に逆らう箱から降りて,目にまぶしい照明に誘導されて部屋に滑り込む。
「懲りないな」
「お前にだけは言われたくない」
 部屋の入り口の機械が,無感情に歓迎の言葉を告げる。靴を脱ぎ捨てる。こういうホテルに窓などない。一歩遅れて部屋に上がった西武池袋が,何かを彷彿とさせるような手で,後ろから東上を抱きしめる。
 それも束の間で,まるで獣がえものを捕らえたかのように後ろから覆い被さり,西武池袋は東上の体を面積の広いベッドに押し倒す。
 そのままは癪なので少し抵抗しようかと思ったけれども,体格差のせいだと思いたいけれど,動けなかった。この男は時としてこうして誰でも良いかのようにとても強い力で東上を拘束する。抱き枕じゃないんだから,なんて,言えるわけもない自分はただおとなしくされてやる。
 なぜなら,たぶん似たもの同士だから。
「俺なんか抱いて,自分のことかわいそうだと思わないわけ」
「貴様に言われるのだけはごめんだ」
 なにも言い返せない。
 服越しに抱きつぶされる背中,二の腕に回った西武池袋の腕は抱きしめるとかふれあうとか言ったそんなものではなく,まるで掴んでくるように。
 そして諦めたようにその,何かいつもよりも言葉が少なくていつもよりも見えない世界を追いがちな今日の西武池袋に抱かれながら,東上はきっとその背中に手を回すだろう。甘えるとか抱きつくとか言ったそんなものではなく,まるで掴み返すように。
未練は時に情愛に勝る。吃驚するくらい掴めてない偽物でお粗末さまでした。
20090916


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