ふわ,と意識が浮上して,ああ,寝てたんだっけ,と京浜東北は思った。手元の携帯で時間を確認すると,深夜の一時だった。なんでこんな時間に,と思って,事故が続いて処理も続いたものだから,自分が倒れて部屋に放り込まれたことまで思い出した。
 たぶん誰かは未だ仕事をしているだろう。普段この時間だったら京浜東北自身は日報のとりまとめをしていることもざらだ。山手などまだぎりぎりだが終電も動いている。
 眠っていた時間は長くはなかったけれども,少し目を覚まして東海道と話したときよりも少しだけ体調も持ち直したように思った。食べ物と薬,なくなってないと怒るだろうな,と思って,起き上がるとふらつく頭をどうにか支えてベッドから立ち上がる。
 どうも部屋の電気も消さずに寝てしまったらしく,眼鏡を掛けるとまずは水でのどを潤した。それから冷蔵庫を開けると,比較的何の癖もないサンドイッチと,それすらも食べなかったときの用心にか,栄養補給用のゼリー飲料まで入っていた。
 伊達に長いつきあいではない。
 熱は未だあるようだったが,なんとか食べられる気分だったので,サンドイッチの方を取り出した。ソファーに座り,味もよくわからないなりに咀嚼して嚥下する。二つ目はすこしばかりのどの奥の圧迫感を感じたがなんとか飲み込んだ。
 それから薬を飲む。なんのかのと人に迷惑を掛けるくせに宇都宮と来たら妙なところがしっかりしている。たぶん巻き込まれて仕事が増えるのは御免だよ,とか言うのだろうけれども,京浜東北はそのあたりの宇都宮の感覚は信頼していた。レシートに書かれた額の倍返しを覚悟しなければならないだろう,一倍は宇都宮に,一倍は意味もなく高崎に。
 ふと,宿舎のエレベーターのベルの音が聞こえた。このフロアにあるのは東海道と京浜東北の部屋だけだ。夜に来る,って言っていたっけ,と回想する京浜東北の予想に違わず,がちゃりと扉が開く。
「また鍵閉めてないのかお前」
「だって東海道が入れなかったら困るじゃない」
「それ以前に自分の身を心配しろ」
 もっともなことを言っている東海道に怒られた。
 薬飲んだか,と聞かれて,うん,と答える。空いた薬の梱包を見て東海道は安心したらしく,じゃあ,寝ろ,といつもの気むずかしげな顔のままで言った。
 彼の心配はもっともだと思うし,そうやってわざわざ自分の部屋を尋ねてきてくれるだけで過分の幸せなのだが,なんだかそうやって,せっかくの時間を上手く使えないのは,なんだか悔しかった。
「今まで寝たから眠くない」
 試しに駄々をこねてみる。
 東海道と来たら本当に眉間のしわが分かりやすいんだから! と京浜東北が笑い出したくなるくらいに,東海道の眉間の溝が深くなった。彼が日常的に感じているストレスからすれば,どうということのない我が侭しか言っていないけれども,それでも我が侭は我が侭だとその表情が言っている。
 だからそういうときにはとびきり甘い言葉が効く。
「一緒にいてよ」
 東海道は諦めたようにため息をついた。けれどもその眉間のしわがゆるむ。ああ,もう,かわいいんだから,京浜東北は笑った。京浜東北の我が侭を聞いてやる振りをして,東海道と来たら,すごくしあわせそう,なんて言えば,彼はどうするだろうか。
「……着替え,持ってくる」
「うん」
 隣の部屋なのに,東海道はきっと自分の部屋に寄ることなく,ぎりぎりまで京浜東北といてくれるのだ。うれしくなってしまって,京浜東北は部屋を出て行こうとしている東海道に腕を伸ばす。たぶん熱があって思考能力が衰えているのだ,京浜東北は自分に言い訳をした。
「どうした」
「東海道,ありがと」
 他の誰でもなくて,君に心配されるのが一番幸せ。
 言いながら,歩み寄ってきた東海道に抱きつく。その体が一度ぴしりと固まった気がしたのはつまり京浜東北の大胆さに驚いているのだろう。自分でも驚いている。それでも京浜東北がその違和感を乗り越えて無理矢理東海道にしがみつき続けると,諦めたように東海道も京浜東北の背中に腕を回してくれた。
 京浜東北は座ったままだから東海道が覆い被さってくるような姿勢をしていた。ちょ,京浜東北,この体勢辛い,と言われたので,渋々京浜東北は東海道から体を離す。
「ごめん,重かった?」
「そんなことはないけど」
 察しろ。
 東海道はそれだけ言うと京浜東北の返事を聞かずに腕を引いて立たせた。なに,と驚く京浜東北を,寝てろ,とベッドにやわらかな力で放り出す。すぐ戻る,と言いながら,慣性の法則の働くままベッドに仰向けに倒れ込んだ京浜東北にくちづけを落とし,東海道は隣の部屋へいってしまった。
 察しろ,っていうかね。
 京浜東北も思わず熱が上がるのがわかった。体調の問題ではない。自分の甘えように,だ。いつも強い自制を働かせて感情の流出を抑えている分,弱っていると駄目だった。そんなに甘えたい自分を自覚していない分ひどい。東海道の顔と来たら赤かったし,たぶん,何日か空いているからその意味でも盛り上がってしまったのだろうか。申し訳ない。
 しばらくして戻ってきた東海道は寝るための格好をしていて,かろうじて眼鏡を外してサイドボードに放り投げた京浜東北のぼんやりとした視線を受け流しながら鍵を掛けて,クローゼットの上に自分の着替えを置いた。
「電気,豆球にしといて」
 京浜東北の要望を東海道は聞き入れた。夜中に気分が悪くなっては困る,というあまりしたくない対策だったが,東海道はそれを把握したらしい。それから,徐にソファーの方へ向かう東海道の手首を,京浜東北はつかんだ。さきほどまでの反省は嘘のようだった。こんなことでもないと甘えられないのならば,それを有効活用することの何が悪いのか,京浜東北はわからなくなった。
 何もかも熱のせいだ。
「今日は疲れたね」
 だから隣にいて。
 京浜東北のささやきに,東海道が陥落するまで,あとほんのすこし。

もはや事故関係ないただの風邪ネタ。
20091008