京浜東北が東京駅で東海道を見つけたとき,東海道は随分と難しい顔をして中央線のホームを見上げていた。東京駅の在来線のホームの中で,中央線の通る1・2番線だけ妙に高いところにあるので,見上げなければならないと言うようになっている。
昼間の閑散とした時間帯だった。
中央と東海道は別に折り合いは取り立てて良くも悪くもない。中央にしても東海道にしても,会社域を超えれば日本を横断する長距離路線だ。京浜東北には,行き着くことのないところ。
「東海道」
努めて明るい声を掛けた。
7番線から見た2番線はそれなりに遠い。そして東海道が難しい顔をしていることはけして珍しいというわけではない。しかし京浜東北はなるべく東海道のそう言う顔は見たくなかった。
「どうしたの,眉間にしわ寄せて」
「もともとこういう顔だ」
振り向いた東海道の返答はある意味予想通りだった。うん,まぁ,そうだけどね,なんて言おうものならば彼はどう返事してくるのだろうか。
賢明な京浜東北はわざわざそんなことにふれはしないで,東海道のその眉間のしわの理由を尋ねることにする。
「中央がどうかした?」
ちょうどそのタイミングで,中央の車両が西に向かって走り出す。東海道もそうだが,ちょうど東京駅は彼らにとって折り返し駅なのだ。
見えた車両は京浜東北とともに導入されたE233だった。カラーリングが違ってもLEDを導入しているのはE233だけだ。京浜東北の方は209の大部分は千葉支社に納入されていて,ワインレッドやカナリアイエローに塗り替えられているが,中央の方も古い全面カラーリングの車両はだいぶ減っていた。
もともと人身事故多発路線トップ2だ。新型が導入されやすいのにも無理はない。しかしそれをいうならば東海道にだって1編成だけだがE233は導入されている。彼らの湘南新宿ラインとさらに高崎と宇都宮の路線に導入されたE231だってそれなりに新しい。
「中央がどうかした訳じゃない」
東海道の表現は要領を得なかった。
京浜東北は首をかしげる。それならば何も2番線を睨み付けている必要はない。東海道の東京駅における視線は,たいていは東日本の上官たちのホームを越えた兄の東海道新幹線,運が良いと少し下にある京浜東北のホーム,それから何の気なく駅全体を見渡しているかのどれかで,よりにもよって中央のホームを睨み付けていることなどあまりない。
「じゃあなに? 僕だって首都圏在来にちゃんと動いて欲しいから,何か気になることがあるならなんとかしたいんだけど」
何も視線の意味を気にしているのではなく,あくまでも京浜東北の立場を重視するような物言いをすれば,東海道の目線が2番線から漸く京浜東北に転じた。
しかし,そのまま東海道は京浜東北をじっと見ているだけである。京浜東北は大変に居心地が悪かった。東京駅を通る在来で,もっとも稼働率の低いホームがこの東海道のホームである。淡々と発着する中央や山手,それに自路線の電車の音が随分と遠くに聞こえるくらいに,東海道は視線をそらすことを許さない。
何度目かに,中央の電車が西へ向かい,京浜東北の電車が滑り込んできた時だった。
「お前と中央がお揃いとか,腹立つんだけど」
「……は?」
東海道の真顔の奥がたぶん恥じらいか何かで揺れた。京浜東北としては,確かに自分の言っていることがいかほど恥ずかしいか東海道に自覚を促したいとは思った。思ったけれども,むしろ分かっているならば言うな,とも言いたかった。
「君」「うるさい何も言うな!」
京浜東北がたぶんよほどの渋面を作っていたのだろう,東海道は不機嫌そうに言うとまた2番線に目線を転じた。今度は中央のE233が入線してくる。
(ばかだなぁ)
「東海道」
「なんだ」
「キスして,いますぐ」
京浜東北としては割と大まじめに言ったつもりだったけれども,東海道は驚いたように目を見開いた。まぁ,無理もないだろう。東京駅の,よりにもよって彼のホームで,京浜東北がこんなことを口にすることは有り得ないと言っても良かった。
だから逃げ道は後付で用意してやる。
「……って僕が要求できるのは君だけだから,そんな顔しないで?」
東海道がほっとしたように驚いた目をゆるめたから,京浜東北は思わず笑みをこぼした。目の前の東海道の反応と,そして東海道の独占欲に,ひどく気分がよい午後だった。
20091029