たとえば、この時期に、忘年会や納会が立て込むことは良くあることである。たとえば、歳末の時期であるために、輸送量が増えることも良くあることである。そしてたとえば、クリスマスというイベントと誕生日が近いこどもは、そのプレゼントをまとめられるというのも、これもまた、よくあることである。
 だからといって、そういったことを全て受けて、へこたれた京浜東北を放っておくのは気が咎める。
 この生き方をしている限り、日付の変わる瞬間がまだ仕事場だ、というのは、あまりにありえてしかるべきことだった。日付が変わりまして十二月二十日、ニュースの時間です、とテレビからアナウンサーが告げてくれたとき、東海道はまだ名古屋駅の一角で、日報を仕上げている最中だった。
 京浜東北だってきっと事務所詰めか、悪ければまだ現場である。この時期はとても寒く、そして万人が機嫌良く酔っぱらっているため、あらゆるトラブルを想定して動かなければならない。そんな時間帯に、真っ向から彼の携帯電話に着信を入れるのは、東海道の中ではしてはならないことだった。
 迷ったあげく、東海道は携帯電話で短く、今年も宜しく頼む、とメールを送った。
 そして日報を書く作業に戻った。
 何度も思うのだが、それは別に薄情な出来事ではなくて、自分たちにおいては至って良くあることだった。国鉄の頃などまだ携帯電話なんて気の利いたものがなかったから、誕生日に何の祝いの言葉を告げてやることも出来ないことだって、ままあるくらいだった。
 京浜東北からは即座の返事はなかった。
 東海道はそれを多忙の証拠だと思ったし、別に返事を期待して送ったメールでもなかったので、さして気にしなかった。
 日報を仕上げると、東海道は立ち上がった。立ち上がったところに、東海の同僚たちが雪崩れ込んできた。兄が上官としてあの立場に立った以上、東海道はむしろ多くの在来線や職員にとって、親しみやすい金づるとなってしまっている。
「東海道さん、飲みに行きましょう!」
「こんな時間からか?」
 いぶかしげな声を装いつつも、寒い外に震えた心は、芋の良いのをぬるい湯で割って飲めばきっとうまい、と当たり前のことを訴えかけてきていた。冬で、飲みの誘いを断る理由は何もない。仕方がないことだっただろう。
 それに、その時点では未だ携帯電話は鳴らなかったのだ。
 かくて、東海道は紆余曲折を経て、東海の古い同僚たちの部屋で、津々浦々から集めてきた焼酎をちびちびと飲んでは機嫌良く笑っていた。
 十九日から二十二日で東海の予定が入っていたため、代わりに二十四日から二十五日の東京の予定も死守したのである。だから、埋め合わせはそのときにしようと心に決めていた。そのせいで気が緩んで、魔が差したのである。
 胸ポケットの中で携帯が振動したのに気付いたとき、反射的に見上げた同僚の部屋の時計は午前一時半を指していた。京浜東北の運行時間を考えれば、漸く手が空いて電話をかけてくるのには実に相応しい時間だった。
 しかし、ほどほどの強行軍による疲れと、それから温度が高いためいつもよりもさらに頭を悪くさせる酒が、部屋から抜け出してその携帯電話を開くという選択をする気にさせてくれなかったのだ。クリスマスイブは彼のために確保したのだし、開業日は必ずしも京浜東北にとって良い思い出ではない。
 物わかりのいい着信はほんの五秒ほどで切れて、再度鳴ることはなかった。
 飲み会は午前二時には解散となり、うつらうつらとした心地で東海道は部屋に戻った。
 上着をソファに投げたときに、がちゃりという不快な金属音のお陰で、携帯電話の存在は思い出したし、京浜東北の寄越したであろう着信のこともきちんと思い出した。だが、東海道は眠かった。他の服も脱ぐとベッドの上に畳んであった寝間着をおざなりに着込み、明朝にシャワーを浴びる決意をして布団に潜り込んだときに、もう一度携帯が震えたのは聞こえた。
 電話とメールで着信音を変えている東海道には、その音がメールの通知を告げるものだと分からなかったわけではない。だが、どうしようもないほどの緊急事態ならば、あらゆる連絡手段を通じて最終的に東海道を直接たたき起こしに来る者がいるはずである。そうでないならば、意識は既に泥沼にとられていた。
 全く持ってどうしようもない話だが、それが昨夜の話である。

 どれだけ疲れていても、どれだけ酩酊していても、きっちり決まった時間に起きることが出来るのは東海道の特技の一つである。おじいちゃん、といって京浜東北に笑われるのは、些か不本意なところではあるが。
 東海道はぼんやりと京浜東北の仕草を思い出しながらシャワーを浴びた。おじいちゃん、と笑う割に、京浜東北の方がたいてい起きるのは遅かった。決まった時間に目を覚ましてから、ほんの一分だけ眺める彼の寝顔がとても好きだ。その、閉じていたほの白い目蓋が開き、睫毛の扇がはためいて、その奥から綺麗な空が現れる。
 それは、東海道だけの知る夜明けだ。
「ああ」
 思わず声を漏らして、放置していた携帯電話のことを思い出す。
 髪を拭きながら、若干皺になっていた上着から携帯電話を取りだした。電話の着信元は予想通り京浜東北だったが、メールの着信元は宇都宮だった。あげくに、添付ファイルの所在を知らせるアイコンがついている。まったく、碌な予感がしない。
 開いてみれば、そこには見慣れた赤みのある髪の下、ついぞ仕事中には見せないようなゆるい目線でカメラを捉える京浜東北の顔があった。手には缶チューハイを持っている。京浜東北にすぐに酒に酔うようなかわいげはないが、疲れていたり、それこそ皆で集まって酒を飲むようなときにまで、必ずしも毎度毎度気をはっているわけではないというのもきっと事実だった。
 東海道のいつも起きる時間をとっくに過ぎて、シャワーを更に浴び終わったような時間だった。東海道は京浜東北の携帯電話に着信を入れたが、もちろん応答はなかった。

 諸々のことはあり得ることでも、京浜東北がすこしおとなげない対応を取った場合、東海道もおとなげない甘やかし方をするのが楽しみである。京浜東北は、街のオフィスが昼食に入るすこしあとに昼休みをとることが多かったので、東海道が携帯電話を開いて着信を入れたのは午後一時半だった。
 ただしその電話番号は〇九〇ではじまるものではない。
 果たして京浜東北はすぐに着信に応じた。
『はい』
「お、出た」
『……卑怯な手を使うね』
 それは京浜東北の部屋に宛がわれていた固定電話で、一旦部屋に戻る京浜東北のことを予測して東海道のかけた罠とすら言えるような電話だった。休憩に仕事をしていることを知られるのを嫌う京浜東北は、何か拗ねるような出来事があった場合、自室に書類を持ってこもる癖があるので。
『この受話器すごく久しぶりに持った』
「固定電話なら逃げられないかなと思って」
『確かにね』
 言葉だけ聞けばとても怒っているように聞こえる京浜東北の声が、しかしその実くすくすと明るく楽しそうな響きを帯びているので、京浜東北が本気で怒っているわけではないのが分かった東海道はすこしほっとした。しかし、ここで気を緩めてあらゆることを台無しにするのはいけない。
「きのう、ごめんな」
『なにが』
「電話、とれなくて」
『別に、最初メール返さなかったのはこっちだし』
 東海道がそう思っているのとまるで同じように、京浜東北だって謝りながら、でもそれは仕方ないことだし、と内心思っているに違いなかった。だから東海道は笑いたくなるのをぐっと堪えて、真面目な声で続けた。
「でも、宇都宮に写真なんか撮られるなよ?」
『なんで』
「勿体ない」
 すこし間の抜けた目尻が可愛くて、宇都宮は、東海道の趣味を良く理解しているものだと、正直なところ東海道は感心すらしていた。だがそれはそれこれはこれ、京浜東北のそんな一面を知っているのは、東海道だけで充分なのだから。
『ふうん』
 京浜東北が、そういいながら、口角を上げているのが目に見えるようだった。
 ああ、可愛い!
 東海道もこうやって機嫌を取りながら、京浜東北の姿を思い浮かべて目尻が下がっているところを彼に見透かされているのだろうな、とぼんやり思った。だが、こちらは、それがばれているならばむしろ好都合なのだ。
「お土産、買って帰るから」
『なにを』
「ういろう」
『だけ?』
「うなぎパイ」
『捻りが無くない?』
「こういうのは定番の方がいいんだよ」  文句を言いながらも、京浜東北の興がそそられているのが分かる。心配しなくても、東海道は京浜東北の好きではない物を買って帰ることなんてしないことを知っているだろうに、むしろ食い下がるな、と東海道が思った矢先。
『そうじゃなくて』
「ん?」
『……君が、早く帰ってきてね』
 彼は、本当に容易く致命傷を撃ってくる。
 笑い出したくなりそうなほどの恋心をぐっと飲み込んで、東海道は真面目な声を作る。
「ああ」
 するとこちらの努力を笑うように京浜東北が声を押し殺しながらも小さく笑ったので、ああ、こんな可愛い相手に呼ばれているのに仕事やら忘年会やら納会やらで早く戻れないなんて、まだまだ足りない男だな、と東海道は改めて実感せざるを得なかった。

なをさんが 相手はご想像にお任せします っていうから
東京駅は常に正義
20101223