髪が少し長いのとか、絡めた指とか差し込まれた足とか、ほんとうはこういうときぜんぶ邪魔で。もっと近づくのにはどうしていいのかわからない。僕は求めるようにただ唇を開いた。彼は応じるように唇をくれた。待ちきれずに舌を出すと、仕方なさそうに笑った口元に食べられる気がした。
もっと撫でて、後頭部を押さえつける手を意識して言う。甘えるようなことを言ったのは久しぶりで、彼は仕方なさそうに従ってくれた。足下はまだ誰かの電車が通過していく。
ホームから急な螺旋階段を上がって辿り着いた駅務室はもうしばらく使われていなくて、古い扇風機だけがふたりの表面の熱をさらっていってくれた。会うのが久しぶりで、早く触れたい気持ちだけがせっついて、僕は彼をこの懐かしい部屋に引っ張り込んだ。
午後十時はラッシュのピークを過ぎた時間で、彼は、仕事? と聞いてくれるけれども、そんなのはお互い様だった。それに、僕がこんなに求めるなんて珍しいことを、そんなふうに台無しにして良いの? と聞いたら、笑って首を横に振った。そのまま彼は僕の鎖骨に額を預ける。さらさらと擽られる鎖骨さえもたまらなかった。
悪戯な笑顔を意識して螺旋階段を上がった駅務室で、まず扇風機をつけてから、彼は僕の望むように古びた壁に体を押しつけてくれた。ご丁寧に僕の足のあいだに足を一本差し込んでだらしない格好をさせるようなところまで、興奮してしまう自分はもう、手の施しようがないと思った。
軽くゆるめた詰襟のなか素肌の鎖骨をくすぐりながら、彼が僕と自分の下半身の着衣をゆるめている。性急な仕草をからかう余裕なんてもちろん自分にもなくて、ついていくようにその背中の生地を掴むので精一杯。
いきなり前を放って置いて後ろに滑り込んだ手がいたずらに臀部を揉んだ。驚いて肩をすくめて、力が入ったままの僕の割れ目をそのまま探ってくる。否定する言葉なんて何も出てこないけれども、どうしていいかわからず身を捩った。
嫌?
普段ならそんなこと聞かずにもっと甘やかしてくれるのに、すこしの時間が空くだけでこんなになる自分が信じられなかった。掴まれた体を抱きすくめるようにもっと引き寄せられた。ああ、服も皮膚も邪魔、僕と君はひとつになれたらいいのに。
嫌じゃない。
緊張する意識を解いて力を抜く。君は引き寄せた耳元で、安堵したように笑う。やっていることはこんなことなのに、たかだか力が上手に抜けたくらいで笑ってくれる君が好きだよ、言わないけれど。
そういう用途じゃないと何度言っても聞いてくれない彼は僕の胸ポケットからハンドクリームを取り出して後ろに塗りたくる。薄く伸びて液状になるそれが、まだシャワーも浴びていない自分の中に潜り込んでくる。
背中にわざと爪を立てる。痛い、なんていう声が、耳を擽るから、焦らないでよ、と言うだけ。仕方がないでしょう、気が逸っておかしくなりそうで、こんなことでもしなければ僕は僕で居られなくなってしまいそう。
差し込まれた指が、じわじわと彼のものを受け入れられるように自分の中をほぐしていくのが分かる。爪を切っていなかったのを知っているのに、彼は指の腹だけで丁寧に中をやわらげてくれる。こういうときいつもどうしていたのだろう。
夏の夜はこんなぼろぼろの駅務室を風が吹き抜け、扇風機が低い音を立てて回る。駅の明かりは薄暗い部屋に降り注ぎ、足下のホームは使用頻度が低くても乗客や職員が行き来して、ときどき誰かの電車ががたがたと二人の部屋を揺らす。
そんなシチュエーションで正気なんて見えなくなる。彼の指以外のものを感じられなくなる。だんだん背筋から力が抜けて目の前の彼の体にしなだれかかるだけ。
もう、はやく。何度目かに彼が指をぐるりと回して、このままだと指でいってしまいそうな僕は口走る。彼が無理矢理僕の体を引き剥がして壁に押しつけるから、なに、と聞くと、とても嬉しそうな顔をして、その顔が見たかった、なんて。僕はいったいいまどんな顔をさらけだしているのだろうか。ほのかに残る夏の足下から匂い立つような熱と、それよりも目の前の彼が、僕をやっぱりおかしくさせるばかり。
彼が僕の入り口にそれを押しつける。熱い、熱い、かたまり。僕のこんな姿に興奮してくれている彼が、僕と何ら変わらないただの欲情に落ちてくれる。
立ったまま向かい合って、じわじわと打ち込まれる熱が苦しくて、気持ちよくなりたいのにまだ体がついてこなくて。いやいやと髪を左右に振り乱す。彼は顎を捕まえて僕にキスをくれた。僕は彼の背中を片手で掴んだまま、眼鏡を足下に落とした。濁る視界なんていらない、もう、なんだっていい。
唇を吸い上げて、力が抜けるように勝手に開いた口の中に舌を滑り込ませて、ぞろりと舐められる。ふありと力が抜けた体の中を彼の熱が犯す。
ああ気持ちいい。
名前を呼んだら君は笑った。どうした、京浜東北、そんな声が場に相応しくなくてやさしかった。欲情して咄嗟に体を欲しがったのと同じくらい、その声が僕は欲しかったような気がした。
けれども何もかもひとつに溶けてしまう。熱や夏や会えなかった寂しさや欲情が、汗になって僕のこめかみから輪郭を伝って顎から落ちる。彼の胸板に落ちたそれはしょっぱいだろう。僕の一部が溶け出してしまう、彼がそれも全部受け止めてくれるなら、僕はそれだって良いけれども。
撫でるのだって、セックスだって、いつだってしたいよ、なんて君も言うから。だから僕は何も分からなくなって、君の足に体を落とすように腰を振ってしまうし、君も僕を突き上げずにいられないでしょう?
(すき)
うわごとのように熱をやり過ごすはずだった呪文が、口から零れて、結局ふたり何も分からなくなるくらい、それくらいが幸せなんだと思った。
20100819