その朝,京浜東北からは東海道の携帯メール宛に朝のミーティングを休む連絡が入った。前日の夜に人身を代表とするトラブルがあった場合,翌朝のミーティングを休むのは誰にでもあることだ。仕事を大切にし,東のリーダーとして自覚もある京浜東北が休むのは珍しいことだったが,このところ人身に悪天候にトラブルが続いていた彼が,勝手にぶっ倒れて在来の指揮系統が崩れる方が困るに決まっている。京浜東北の電車も,動いていたので問題ない。 
 京浜東北抜きで朝のミーティングをすると気が引き締まらないと堂々と言える埼京を少し羨みながらも,そんなでどうすると一喝してしまった。なおかつ,そんなことをいいながら東海道は朝のラッシュをこなしたあと,ついつい宿舎に戻って来てしまった。コンビニでミネラルウォーターとカロリーメイトを買うのも忘れない速度で。 
 長い付き合い,彼の初めからの付き合いだからそうたやすく折れる相手でないのはわかっているが,人身の翌日に彼が休むなんて,不安なものは不安なのだ。ほら,自分の横浜以北を預かってもらっているわけだし,と言い訳してみる。 
 下駄箱に靴を入れ,スリッパに履き替える。在来線の宿舎のエレベータを下りて,彼と自分の部屋があるフロアに入ると,自然早足になった。京浜東北はよほど同僚を信頼しきっているのか,在室なら部屋の鍵を締めない。かちゃりドアレバーを押すと,ドアは抵抗なく開いた。時刻は既に朝の10時を回っていたが,京浜東北は部屋のカーテンを閉め切っていたから,ベッドの上に黒いかたまりが転がっているのしかわからなかった。ドアを閉めて鍵をかける。 
「東海道?」 
 ベッドの上でもぞり,かたまりから声が聞こえた。 
「全くお前いつも鍵締めろって」 
「あのね,大変でそれどころじゃなくて」 
 もぞ,暗い部屋で動かれるとなんとなくしかシルエットが見えない。それでは些か寂しいので,しかも大変なことなんていうので,スリッパを脱いで部屋に上がると(京浜東北は妙なところで几帳面で,自分の部屋の中で勝手に玄関を設けているのだ),ローテーブルにNEWDAYSの袋を置いて,とりあえず身を起こした京浜東北のベッドの方を見る。 
 どうもシルエットがおかしな気がした。 
「なんか,生えちゃったみたいで」 
「は?」 
 言われた瞬間に頭をよぎったのは兄の同僚から聞かされた話だった。あの茶髪の上官と来たら,詳しいことは何も話さなかったけれど,あるとき突然,ネコミミは良いぜ,なんて言い出したのだ。 
 その後しばらくして,あの一番顔だけは秀麗で根性がどこかひん曲がっている長身細身の上官に,こないだ大変な目にあったよ,と目を細められて,上越から見えない視界の隅で山陽が頭の上に手のひらを広げた。幼稚園児がよくやる動物さんのポーズだ。 
 そのときに山陽が手のひらを置いた場所に,今目の前の京浜東北の頭のシルエットに,どうも何かあるのが見えるような気がする。いやいや,と信じがたくてとりあえず黙ることにした。 
「このまま僕が出勤すると,まずいような気がしたんだよね」 
 間違っていない。 
 その京浜東北の判断は何も間違っていない。 
 気のせいでなければ,たぶんまずい。全力でまずい。というかまずいのは自分の本能的な何かの反応だ。 
 何の前触れもなく朝出勤してきて京浜東北がそんな格好をしていたら,たぶん東海道と来たらどうなっていただろうか。正気でいられなかったことは間違いない。ベッドサイドの遮光性の高いカーテンを京浜東北はしゃ,と引いた。 
 明るい部屋はいつものきれい好きの京浜東北の部屋だ。背の高い観葉植物。ハンガーに上着を掛ける手が止まって,ベッドの上ではたり,見たことのない毛並みが揺れた。 
 白い耳にカフェオレ色の毛が混じっている。尾の方も似たような色味に見えた。やわらかい猫はいつもの眼鏡越し,けだるそうにこちらを見た。朝から驚き疲れたらしい表情と同じようにへたり,ベッドのシーツの上に情けなさそうに落ちていた。浅い髪の色が,薄い色の耳に引き立てられていつもより明るい色に見えた。 
 多分寝間着の白いシャツを着て,まさかの生足に思わず一度目を滑らせて必死に反らした。尾が収まらないのか,薄い肌掛けだけ下半身に軽くかけているけれども,すらり伸びるふくらはぎから目を離せない。そこに絡みつく尾からも。 
 見慣れているけれども変わった色の目は,開業したときから東海道だけが知っている空の色を閉じ込めている。その目が困ったように東海道を見上げてくるから,どうにか理性的にふくらはぎから目線を引きはがす。 
「朝から何か食ったか?」 
 ついでにその姿からも目線を引きはがす。 
 まるで朝の情事を終えたばかりのようなけだるいその白い姿に,たやすく反応する自分が悔しい。京浜東北の尾が一度東海道を追いかけるように持ち上がり,ぱたりと落ちた。NEWDAYSの袋からペンギンの踊る水を取り出し,ペットボトルの蓋を開けて渡してやる。振り向いた瞬間京浜東北は少しさびしそうな顔をしていた。 
「昨日の夜に食べたサンドイッチが最後」 
「カロリーメイト持ってきた」 
 京浜東北は体を起こして,ベッドに腰掛けた。東海道はその隣に座る。のど元を嚥下する水さえ見ているだけでぞくりとする。耳が何かに反応するようにひくりと動いた。 
 水をサイドボードに置いた京浜東北の頭に何の気なく手を伸ばす。 
「耳,こっち聞こえるのか?」 
 ふわ,と撫でただけのはずだった。 
 京浜東北の体が跳ねた。 
 一度目をつぶったその表情は,知っている表情だった。 
 快楽に揺れる顔。 
 京浜東北は元の耳だって感度が良い。いやそれだからといって猫の耳の感度が良いと言うことの説明にはならない。そもそも感度が良いのかどうかなんてもしかしたら東海道の欲目かも知れない。 
「なんとなく,聞こえる,かな」 
 何か誤魔化すように声が乱れていた。 
 隣に座った京浜東北の尾が,一度ひくりと立ち上がって,そのまま東海道がのばしたまま固まった手に絡んでくる。そのまま腕を伸ばして,反対側の方を強く引き寄せる。何の抵抗もない軽いからだがすとり,東海道の肩に落ちてくる。 
 絡まったままの尾の先端をやわらかく握りしめる。ん,と京浜東北の声にならない音が吐息に紛れて漏れる。京浜東北の顎に指をかけてこちらを向かせる。 
「なぁに」 
「無理」 
 我慢が出来ないと抱いていた腕を放す。見上げてくる視線にたまらない気持ちになって体を引き離そうとしたのに,支えを失った京浜東北のからだがもう一度追いかけるように倒れてくる。 
「だって,こんなの」 
 見上げる目の空色が暈ける。覗き込む東海道の目はどんな表情を浮かべているのだろうか。僕,どうしよう,なんて,こんな様で言われたら冷静にいられるわけがない。 
 追い縋るように倒れ込んできた体を仰向けにベッドに押し倒す。猫の耳が驚いたようにぴくりと跳ねた。そんな耳にはかまっていられないで舌を唇に割り込ませる。噛み付くようなキスをされたのは久しぶりだった。 
 シャツの裾から手を忍ばせようといたら,京浜東北はじれったそうに自分のシャツを脱ぎ捨てた。その一瞬だけキスがほどけたけれど,やだ,と甘えた声が京浜東北の口から漏れる。 
「キス,やめないで」 
 眼鏡だけはいつも通りだ。 
 でもそれ以外見たことがないほど積極的で,けれども目の前の京浜東北は東海道が一番長く見てきた京浜東北に間違いがなくて。京浜東北にそんなことを言われて東海道は拒めない。 
「いつもより,おかしいな」 
「どうしていいかわからないんだから」 
 キスをしながら少しばかり息継ぎをする隙,笑うと京浜東北が困ったように眉根を寄せた。それでもキスはやめられなくて,左手で京浜東北がシャツを脱ぎ捨てて露わになった肋骨の浮きそうな胸元を広く撫でて,右手で頭に着いた猫の耳をあやすように撫でる。あいまに,う,とか,ん,とか甘やかな息が漏れる。 
 キスで手元がおぼつかない京浜東北が東海道の胸元に手を伸ばしてシャツのボタンを一つ一つ外していく。今日はアンダーシャツを着ていなかったから,京浜東北を愛撫していた手をすこしだけ離して脱ぎ捨てれば,東海道も上半身が裸になった。 
 ふれあわせた体が温かい。上半身をやわらかく撫でていた左手を頬に添えて,右手は猫の耳をなで続ける。存外長い尾が東海道の背中にまとわりついて,回された京浜東北の腕と一緒に背筋と下腹部を沸騰させる。 
「なんか猫っぽいこと言えよ」 
「なに,それ」 
 ふと口にすれば,困ったような怒ったような声で京浜東北がせがむ。キスをほどけば,色のあまりついていない京浜東北の唇が珍しく赤くなっていて,眼鏡越しの目尻も赤くてたまらない。 
 眼鏡をかけたまま情事にもつれ込むのは嫌いらしいのに,今日はキスをほどかれたのが不服なのか東海道の背中に回していた腕をすっとほどいた。かと思えば,東海道の制服のベルトを手慣れた様子で外す。 
 固い制服の生地に手間取らないのはつまり長い仲だからだ。彼にしては珍しいことに下着ごと下半身の着衣を全部下ろそうとする。まるで毛玉にじゃれる猫のようだ,とめったなことがないと京浜東北にそんな感情は抱かないであろうという感想がわき起こってきたのだった。 
「もう,こんなになってるじゃない」 
 京浜東北にしては挑発的な発言だった。 
 あまりに生意気な猫が可愛くて,自分の服を脱ぎ捨てるついで,京浜東北の下着にも手を掛けて引き下ろす。驚いたように尾が跳ねて,東海道の背中を撫でる。 
「猫のくせに生意気だな」 
 人に言うだけ言っておいて,もうお前だって随分濡れてますよ,と。 
 意図だけ含めて先端を擦ると,あう,と高い声が漏れる。 
 性機能がどうにかなってしまったわけではないらしいので,京浜東北は性器を擦られるとたまらなさそうに目を瞑った。眼鏡の奥で隠れた空が少し惜しいけれども,空いた手で後孔をくすぐると跳ねる反応がそれどころではなかった。 
 上に覆い被さったままでは些か動かしにくいので,京浜東北を仰向けに転がしたまま,自分だけ起き上がって京浜東北の足の間に座る。熱が離れたのを追いかけるように京浜東北がうっすらと目を開けたら見慣れた空。 
 今更ゴム持ってきてないんだけど,なんて言い出せなかった。 
 余り量が多いわけではないけれども,先走りを絡めて指を後孔に差し込む。少しつらそうに京浜東北が顔を顰めるのが気が咎めて,体を離すと,さっき水を置いたサイドボードに手を伸ばして,潤滑剤を取り出そうとした。 
 そうしたらその後ろを向いた背中を,抱き留められた。 
「東海道,何処行くの」 
「慣らさないと痛いだろ?」 
「僕こんなの,怖い」 
 京浜東北はいつものセックスの時だってそんなに溺れるような激しさよりも二人でゆっくりたゆたうような時を楽しみたがる。その彼が自分で服を脱いだり,服を脱がそうとしたりすることだって珍しい,キスを殆ど途切れさせないことだって珍しい。 
 何を不安に思っているのか,自分が自分じゃなくなりそう,と言ってのける。 
「お前は,猫でもなんでも京浜東北だよ」 
 振り向いて,抱きつく体をゆっくりと横たえる。これからのことを考えて眼鏡を外そうとしたけれども,京浜東北が顔を背けて,消え入りそうな声で言った。 
「やだ,東海道の顔見てたい」 
 言うことはこっちも血が沸くほど恥ずかしいのに,尾だけがぴくぴくと立ち上がって,これから先をせがむ。 
 横を向いたままの頬に一度だけ唇を落とし,それから京浜東北がこちらを向くより早く潤滑剤をまとわせた右手の指を沈める。ひとつ大きく体が跳ねて,は,と息を吸うのか吐くのか分からない声が漏れる。 
「や」 
 京浜東北の声は母音なのか何なのかよく分からない声で,拒絶かと思いきや東海道の指の動きは的確に京浜東北の快感を煽っているらしいので,とりあえず中断はしない。本当は京浜東北が気持ちが良いのか今でも怖い。けれども,気持ちよさそうに目をつむってしまった彼の口だけが,あえぐ形に揺れる。 
(もう,なんでこんなかわいい) 
「東海道」 
「どした」 
「はやく,」 
 もう,無理。 
 そう言いながら,なかに埋めている右の腕に,意識してか否か尾が絡む。中が十分に広がっているかも分からなかった。ただ,引き抜いた指でそのまま京浜東北の腰をつかみ,すっかり立ち上がった東海道自身を埋め込む。 
「にゃ……あう」 
「うっ」 
 京浜東北の堪えた衝動を受けてのあえぎ声に,なかの熱さに,持って行かれそうで思わずうめいた。それでもじりじりとねじこむようにゆっくりと中へと進む。 
 なんとか全部京浜東北の中に挿入して,ひとつ溜息をつく。と,下から腕が伸びてきて,京浜東北は東海道の首の後ろで腕を回して,ぐい,とその腕を引き寄せる。 
 導かれるまま重力でぶつかる直前で体を止めると,首をすこしだけ持ち上げて,下を伸ばして京浜東北が東海道の唇を舐める。ずっと右の腕に回ったままだった尾が,少し強くまとわりつく。 
「東海道,すき」 
 猫はかくも脳髄を破壊してくれるのか。 
 京浜東北がそうやってセックスの最中にでも言ってくれるなんて,もうなにもどうしようもない,理解して東海道は,京浜東北の唇をす,と舐めて,俺もだ,と呟いて,それからまるで内側の誘惑を振り切るように出し入れを開始する。 
「やぁ,あ,とーかい,ど」 
 息も絶え絶えに簡単な音と切れ切れの名前だけを発して,京浜東北が甘えてくる。 
「京浜」 
 自分だけが呼び慣れた名前で呼ぶと,京浜東北はしあわせそうに笑った。 
 眼鏡が邪魔で無理矢理外すときだけ,や,とすこしだけ拗ねたような声をしたけれども,それも,こんだけ近いと見えるだろ,という東海道の声に,京浜東北はやわらかく笑った。 
 
「今日は一日ちゃんと部屋に鍵かけてろよ」 
 甘えるように絡みついてくる尾を片手であやしながら,濡れたタオルで京浜東北の体を拭いてやる。そこそこ涼しくなってきたのに室内でこんなに汗をかいてしまって,挙げ句に中に出されて,さぞ京浜東北としては大変だろう。 
 中に自分が出したものは処理をしたけれども,最後の始末は自分でした方が心地がよいのだろう。たぶん中途半端なところになっている京浜東北がベッドに転がったままのは起きられないからだ。 
「ほら,口あけろ」 
 NEWDAYSの袋の中に放り込んだままだったカロリーメイトのチョコ味は,京浜東北の好物なので,封を切って小さく割ると,おとなしく言われるままに口を開いた京浜東北の口に放り込んでやる。 
 目を瞑ったその表情になんだかまたむらっとしたのは気にしないことにした。 
「上越サンは一日で治ったみたいだから」 
「流行なの?」 
「さぁ」 
 続けて餌付けるようにカロリーメイトを口に放り込む。あ,また目を閉じて,と思ったけれども口にはしなかった。 
 また眼鏡を掛けていないからいけない。 
 時刻は殆ど正午前だった。部屋に出前を取って,もうすこしだけ京浜東北といる時間を楽しんでいこうと黙って決める。どうせ携帯電話は沈黙しているのだから,きっと今日の運行情報は順調なのだろう。 
 業務中に宿舎で猫になった恋人と励んでいたなんて兄にばれたら大目玉だろうが。 
「恥ずかしいこと言わないでね」 
「なに」 
「今思ってること言われたらきっと僕恥ずかしいと思う」 
「しあわせだけど?」 
 京浜東北の顔が,この変態が,と罵りたさそうに見えたけれども,そもそもそれでもつきあってくれているのはお互い様なので,猫の耳ごと京浜東北の頭を撫でておくことにした。 
20090914