突発的偶発的な事故なんてこの仕事をしていなくてもどこにでも転がっていて、それゆえに帰りが遅くなる相手に腹を立てるほど若くもないはずなのに、と言い訳をしようと思ったところまでは覚えている。それが望むと望まないと、そういうことが起こると言うことを承知して生きていなければならないということなんて分かっているのに。
 帰ってくるといった人が帰ってこられないから、そこいらにあったクッションを集めて寝転んで、読もうと思った本も投げ出して、疲れがぐっと目を押さえるから、電気も消していなくて。彼に答えた「そう、気をつけてね」という言葉の裏に、これだけの衝動がまだ残っていることに正直驚いた。だって、彼がこの部屋に帰ってくるようになってから、もう何年も経っているのに。
 自分ひとりで生活していくことなんて十分にできる。そうでもなければ何年生きているのかなんて言えたものでもないのに。ふうと吐いた溜息はクッションに吸い込まれた。眼鏡がすこし曇って戻って視界がクリアになるのは、眠気に負けて覚えてはいない。
 それなりに疲れていたのだ。

 だから不意に意識が浮上したとき、彼の背中が見えてそれほど驚かなかったのは単に目が慣れているからだろうか。女でもなければ華奢でもない彼は背中をさらすことを恥じるような性格もしていないからそれなりに日に焼けていて、専ら首都圏ばかり走っていて日に焼けない自分にはそれがずっと羨ましかった。ずっと、という言葉にある年数は、数えるのも億劫なくらいだったけれども。
「東海道」
 呼びかけた声が掠れていて嫌になった。目蓋の動きにつられて眼鏡がかたんと小さな音を立てた。フレームは寝起きの自分にはひんやりとして感じられた。帰ってきたところなのか、彼の足下にワイシャツが丸まっているのが見えた。同じ背丈なのに寸を合わせれば自分よりもひとつ肩の広い、彼の。
 振り向いた彼の顔は嫌と言うほど。
「しあわせそう」
 日本語を考えることを放棄するような単純な事実だけ告げる。彼は椅子をずるずると引っ張ってきて座った。いまは何時で、彼はどうして帰ってきてくれたのかとかそんなことは、きっとどうでもいいことになる。
 実に悔しいことに。
「お前は?」
 尋ねる声に答えを用意するのすらばかばかしかった。
 だから腕を伸ばす。彼は素直にそれに応じて、寝転がっている自分の腕を背中に回してくれて、そして覆い被さるようにすこし影を作ってから、すぐ隣に横になる。
「眠い」
 嘘はついていないから、これは無実。
 傍に来て分かる、外から帰ってきたばかりの人の気温、体温、におい、何年も生きてきてなお、それでも、こうやって彼を独り占めしていたいからきっとそういう風に生き物はできている。
「そうか」
 髪を撫でられてもう、きっと言葉に意味なんてない。

御本家の投下された半裸イラストに昂ぶったビッグウェーブの後先(初出はピクシブです)
20130514