水族館系暑中見舞い
さぼるということには加減があって、知らないあいだに甘やかされることに慣れていく自分が怖いとは思っている。けれども彼がさしのべてくれる手をはねのけるという選択肢もこれもまた存在しない。だから結局今日も彼に連れられるまま出かけてくる。膝の上に丸まった猫はこの猛暑のなかでも冷房の効いた部屋で涼しげだ。
ちょっと、といわれて出前されてきた海鮮丼の値段を敢えて聞こうとも思わない。やるならば徹底的にやる男を選んだのは自分だが、そういうところが好きになったのは間違いないのだが、よく世間に言われている恋人が別れる原因のひとつに金銭感覚の差があるのだとしたら、これは間違いなく長続きはしない恋だ。おかげであやかった魚の切れ端で機嫌の良い猫は膝の上でうつらうつらとしている。お前、その魚、スーパーで買ったらいくらするか分かっているのか、否そもそもスーパーで売っているのか。
「眠たそうだな」
快晴の空の見えるガラス扉ががらがらと開いて、Tシャツにタオルを首に掛けた東海道が涼しい部屋の中に入ってくる。猫が膝に乗っている京浜東北は、それを払いのけて冷蔵庫から彼のために冷たい麦茶を出してやる気力はなかった。彼よりは猫の方が、幾分可愛いし。
「満腹で快適な空調だからね」
「お前も寝るか?」
よっこらしょ、と言いながら冷蔵庫の扉を引く背中は救いようもなく年相応だった。むしろこれだけの年数生きている彼の背骨に驚嘆の意を示さざるを得ない。自分もだけれども。
ひんやりとした部屋の外に夏の日差しを見る。切り取られた世界の中でふたりのほうが寧ろ夏の自然の中にさらされている虫かごの中の甲虫のようだ。どうしようもないくらいに遮るものがない夏だ。こんな時間帯には一時間に五本しか電車も止まらない。ゴーヤの様子を見てくると言って出かける彼の背中を見送るこの心境を夏の日常だとすれば、それはつまりある意味京浜東北の夢はこうしてかなっていくのかも知れない。
彼に甘やかされて作られた唯一の逃げ場、この世界の中にぷかぷかと浮かんだガラス張りの部屋。
「そうしようかな」
ひんやりとした麦茶のコップを頬に当てられる。結露だけが冷たい部屋の中は、狭くて幸せな世界。
初夏、伊東駅にて、暑中お見舞い申し上げます。
【お題:求めていたのは猫】
***
九番線の最前線
「つくづく承知していたけど君って人間じゃないよね」
「何だよ急に」
「おめでとう、少し早いけど」
終電の少し前に唐突に京浜東北は言った。サンライズを見送った東京駅における東海道線の意味は、既に近郊路線として着々と終電を迎えて悲鳴を上げる客を見送ることしかない。夜はどんな路線も眠る。人間が基本的には夜行性ではないからだ。
人間の道具である以上人間と同じように動けなければならない。だから人のかたちをして生まれた。そうだと誰かに教わったわけではないけれども、きっとそうだろうと東海道は承知している。だからといって、こんなかたちをして生まれたからと言って、心のかたちまでまねをしなくても良かったのにね、という京浜東北のすこしばかり鬱屈としたセンチメンタルを承知できるほど、自分は繊細にはできていなかったけれども。
「丸140年二足歩行を続けているのに、背筋一つ曲がっちゃいない」
「俺だけじゃないだろ」
「君がそんなだからみんな歳を取れないんじゃないの」
「どうだかな」
京浜東北は時折、まるでそれが当然であったかのように過去の威厳を持ち出そうとする。何も残らない東海道にとってそれはひどく息をしづらい心地の悪さがあったけれども、そもそもはじめに恋をした部分を見限ることができない辺り、彼もまだまだひとつ時代分自分よりも若いのだなぁと思い出すばかりだ。
「ねえ」
「何だ」
「いつか僕がほんとうに目も見えなくなって、足腰も立たなくなったら、迷わずここから突き落としてね」
極端なところは治すつもりもないのだろう。ここ、と言いながら京浜東北は東海道の心臓のあたりを指でとんと刺した。もしもそのまま心臓の骨と皮を突き破ってこの身体ごと終焉を迎えるとしたら、きっとそのときこの国はなくなるだろうと、勝手に東海道はいまでもそう思っているし、そして京浜東北もそれは同じだと思う。
30年前ならどうだったかなぁ、とだけ僅か逡巡した。昔のことは思い出せない。彼の言うとおりで、からだは見かけ上何も変わっていなくても、記憶も、脳も、いずれ劣化していくのだろう。そのときに確かに、そのまま直立することのかなわないならば、いっそ姿を消してしまいたいという彼の願いは理解できないこともないのだ。
けれども。
「馬鹿」
東海道は京浜東北の頼みを一蹴した。
京浜東北は今し方自分が指さした胸元に目線を落とし、うん、そう言うだろうと思った、と言った。それ以外のことを言うほどの立場も強さも、斬れ味も既に自分にはたぶん残ってはいないのだ。そして彼を絶望させることを心苦しく思わないでもない。彼の好きになった東海道本線は、いつ頃からか、すっかり確かに、年を取って丸くはなっているのだ。
「優しくなったね」
京浜東北の声も、そう言えば甘くなったなぁと思う。
溺れそうな不安定さもなく、ただ、漸く包み込まれるようになったのは、これも経年変化なのかも知れない。
「どうかな」
「そう思うよ」
駅は夜でもがやがやとしていた。その中で彼は、東海道の胸元から顔を上げて、はっきりとこの目を見た。小さく息を吸って止めた彼の言いたいことは、分かる気がした。
「ありがとう」
「まだ何も言ってない」
「京浜東北が、お前で、本当に良かった」
表情一つ変えずに、目線を横に流して、それはどうも、という、東海道にはわかりやすい照れ方が、これが、とても良いのだ。
【お題:最後の人体】
20131208