新大阪の控え室に戻ると,山陽はそこにいた。
「あら東海道。一休み?」
「お前は何をつけてるんだ」
山陽の疑問に答えられないまま,自分の疑問を発してしまった。失態だ。疑問に疑問で答えるなど合ってはならない。けれどもいまの山陽の状態に対して疑問を生じるのは仕方がないと思う。つまり,東海道は悪くない。
「わたしはいまから新大阪でする仕事をしてすぐ名古屋に戻る」
ついでにあわてて付け加えておく。
時折忘れがちだが,東海道の本来の所属は東海なので,本拠地は名古屋だ。そして新大阪から名古屋に戻るのに使うつもりの新幹線が来るまで一時間半,仕事にかかる時間はそれほどないと見越しているので,一休みと言えば一休みだ。
自分の出した疑問に返答されたと理解した山陽は,にっこりと笑った。いつものその笑顔を花のようだと思うけれど,その頭の上に今日は本気で花が載っていた。茶色のプラスチックの土台の上に,おそらく直径3センチもない白い繊維でできた花が載っている。
「前髪上げるのに使おうと思って」
合理的だ,と思った。毎度毎度この男はちゃらちゃらした髪型をしていて,必要があればきちんと一時的な黒染めだってするが,東海道にしてみれば理解に苦しむ。理解に苦しむのは東にももう一人いるが,東海道にとって直接的に視界に入りやすいのはこの男の方だ。
「上越にも是非勧めるといい」
「,おそろいなんだよ,ね」
山陽が一瞬答えるのを逡巡した。東海道は単に髪をあげることを進言して欲しいと言うだけのつもりだったのに,そこでその名前が出てきて,しかも山陽の与えられた情報と併せて考えれば,なぜか,なぜだろうか胸の下の方がつっかえる思いをした。
「今朝東京駅で,上越と買ったんだよ。仕事するのに使おうよって。別にこれといっておそろいにしようとは言ってないんだけど,アイツがいつもどおり白いの選ぼうとするから,赤いのにしろよっていったら俺がこっちになっちゃって」
口早に言う山陽は,何を隠そうとしているのだろうか。東海道にははかりかねた。もともと東海道は山陽の隠し事に疎い。しかも別に東海道に文句を言う権利はない。上越と山陽は仲がいいのだ。
それなのに。
「それは,仕事に集中できていいだろう」
言う自分の声が震えているのが理解できない。
山陽も何を言えばいいのか迷っているのだろう。
気配を振り払うように山陽の隣を抜けて,控え室に置いてあった書類を引っ張り出して,執務机に座って目を通そうとする。山陽はしばらく動かないでこちらの様子をうかがっていたけれども,気づかないふりを通す。握りしめる書類のはしが汗でにじみそうだった。
不意に山陽が立ち上がる。東海道は顔を上げる。待ちわびていたようでいやだったけれども,山陽はいつもどおりのやわらかい笑みを浮かべている。その頭にもう花は咲いていなくて,代わりに山陽は手にヘアクリップを持っていた。
そのまま,机越しに東海道の前に立つ。
何をされるのか動けない東海道の意図を無視するかのように,山陽は腕を伸ばす。その体の一部がこちらに向かって動くとき,山陽の体格の良さにいつも動揺する。長くて,自分ほど華奢でない指が,左目にかかる東海道の髪をかき上げ,そのままヘアクリップが差し込まれる。
そして彼は満足げに言った。
「やっぱ似合うよ,東海道,かわいい」
「……上越とおそろいなどごめんだ」
同じような顔をしているくせに,とか,本来怒鳴り散らしたい言葉に対応できないで,いつも通り素直でないことだけ吐き捨てておく。山陽は笑っていた。この男との距離感をつかめないのはその表情のせいだ。自分のせいではないと,東海道は自分に言い聞かせた。
山陽→←東海道。両矢印です。両矢印万歳!
私は山陽に夢を見すぎている。絶対。
20090811
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