花合わせの純情

 切欠は、飯田橋駅のホームの公衆電話に置き去られた花束だった。
 自分の路線は通常時に混雑していないとだれかに散々罵られたところで、休日にはそれなりに混む。コンサートや、パーティ、慣れないひとの行き交うこの路線では、連休の半ば、今日も華やかな装いの集団が何組も行き来していた。南北はそういう客を後目に、駅の見回りをしていた。見回りと称して書類仕事から逃げ回っていただけともいうが。
 置き忘れられた花束は、誰かが今日投げたウェディングブーケだろうか。ただのプレゼントなのだろうか。そんなことが南北にわかるわけがない。ただ、この、あまり飾り気のある建物もない飯田橋に、放置されているのが相応しいものではなかった。
 忘れ物だろう。もしウェディングブーケを置き忘れていったのならば、婚期はどれくらい遅れてしまうのだろうか。気の毒なことだ、と思いながら、南北は花束を持ち上げた。それほど大きくはない、片手で持てる程度だ。
 職員としては、ビニール傘だろうが花束だろうがなんだろうが、忘れ物とおぼしきものは預かるのが道理である。しかしなんだか花束を持って、忘れ物でーす、と詰め所に持って行くのも気が咎めた。なにせ自分は書類から逃げ回っていたのではなかったか。
 んーどうしよ、と悩んだのは一瞬で、そうだ、東西に嫌がらせでこの花束をあげようと決める。たぶんほんとうは悩むことなんかないのだ。南北には、東西しかいない。
 花束を持って歩き始めると、その場で黄色い花びらがはらはらと落ちた。メトロでは、花のことなど銀座がわかっていれば十分だから、南北は花の名前などわからない。ただ、落ちる花びらを拾うか考えて、ちょうどそこにエスカレーターから降りてきたカップルが目について、やめた。なんだか、すこしばかばかしく思えた。
 嫌がらせ、かどうかなんて、好きで、それで花を送るのに、どうして、こんなにばかばかしく思えてしまうんだろう。リターンがないから、だとは、思う。

 歩く道がいつも通り人の肩にぶつかるような混雑で、連休にも関わらずこの連絡通路を使う人の多さに、南北はすこしうれしくなった。連絡通路を使う人は、かならず東西を使う。自分の存在がコンプレックスである南北にとって、けして本人に伝えることはなくても、東西のことは、うらやましいとか、かっこいいとか、そういう風に思うことだってあるのだ。
 スーツを着るのにはすこし幼い外見をしている自分が、花束を持っているのは、すこしはずかしい気がした。渾身の嫌がらせはだいたい自分の身にも帰ってくるのだ、銀座の、人を呪わば穴二つ、という言葉が耳によぎる。
 エスカレーターを上がって右にカーブを切る。真正面に東西の改札が見える。東西は人並みの中で自分を見つけてくれることもあるし、忙しい心地に追われて見つけてくれないこともある。今日は後者のようだった。
 どうしよう、と、手元の花束を覗き込む。黄色い花は最初からすこししおれていて、軽くつつくと、花びらが浮ついた。花束の花が一本散ったくらいで東西が気づくわけがない。
(すき、…きらい、すき、きらい)
 南北は通路の端に寄って人並みを避けながら、花びらを一枚ずつ剥がし始めた。
 一枚ずつ、指に花の瑞々しい香りが移っていくのがわかる。花びらは落としておくわけにも行かないから手のひらの内側に握りしめる。
 誰のことを、誰が、好きだというのだろう、なんて、期待するだけ無駄なのかもしれないのに。
(……す、き)
 最後の一枚が、躊躇うようにゆっくり剥がれ落ちる。その手は紛れもなく自分の手で、それを信じたいのも自分で、黄色い花のなかで、ただ立ち尽くすばかり。
(すき)
 確認するように思う心は、わかりきったことをなにを! と叫ぶ。自分だけが知っていればいい、こんな心境。
 東西の改札を見ると、彼は、掲示物を貼り替える職員の手伝いをしていた。そんなの良いから僕を見て!なんて、言える気がすこしもしない。ねぇ、ほんとうに、僕を好きになってくれるの?
 三歩進んで、南北は東西の視界に自分がいないことを確認した。それから、徐に、握りしめていた黄色い花びらを投げつける。
「とうざいの、ばーか」
 呟いた声も聞こえていなければいい、立ち上る花の香りに自分がまた揺らいでいくのが怖くて、南北は東西に背を向けて、花束を握りしめたまま走り出す。
 いい加減気づかないてくれないと、もう花が落ちてしまうなんていえない。花束は自分たちの詰め所に捨ててしまって、おとなしく書類でもこなそう。花の香りは、早く手を洗い流してしまいたい。彼が、気づいてくれないのなら。


SCCのあとだったか、東西の改札前と南北のホームに同じ花びらが散ってたことがあってカッとなって書き上げたように思います。
20100820


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