雪がね、積もってるんですよ、言いながら地下に降りてきた近鉄の頭の上の白を払う。雪は森ノ宮にもうっすら積もっていたが、彼の乗せてきたその塊の冷たさや硬さは異質だなぁと思う。不意に背伸びをしていた手を取られる。そんなことをしては、あなたの指が冷えます、握りしめた指先の熱が狡いと思う。
(0番線帝王緑、寒かったんですよ)

地下は狭い。直線的に交差する地下鉄だからなおのこと狭い。だから彼がそこにいなくても、不意に彼の気配がする。乗換駅を唱える乗客の声、或いは行き先を示すネオンサインの赤。この生のすぐ傍に彼の気配がある。解らないのは何処にいるのか、隣か裏か後ろか前か、それを探すたび苦しくて離れがたい。
(0番線赤青)

お姫様みたい、言われて髪を引かれて、いてて、と取り敢えず文句。誰がお姫様や、少なくとも現在交通局で最もそのポジションに近そうな南港に問えば、髪長いもん!と抱えた絵本ごと主張する。長いだけなら御堂筋もやんか、と指摘すれば、僅かに首を傾げた少女は、あっちは悪役か王子様やろ、とのこと。

そんなこともあったのになぁ、口にはせずに揺れるツインテールを眺める。あの純粋だった眼差しが、いまとなっては如何に物事を的確に切り取ることか。どうしたんお姫様、尋ねてくる声は変わりなく、言ってしまえば誰と誰の関係性も変わらない。どうもしませんよ王子様、結局物事はすべて彼女の掌中か。
(0番線青水)

彼の細い指のめくるタウン情報紙は千日前が持ち込んだものだった。ケーキのひとつひとつ、御堂筋には全部同じに見えても、四つ橋にとってはそうでもないのか、写真を指でなぞって、ため息をひとつ。買いにいってもいいが、と提案すれば、別に要らんし、との返事。どうにもこの青いのは、可愛げがない。
(0番線赤青)

彼が触れるたび、自分が判らなくなる。彼の方が寧ろ自分を知っていて、脳も心も体の中にも入り込んで。けれど御堂筋は時々、四つ橋の顔を見ては黙りこむ。居心地の悪さの中、引き出されるもの判らず声すらあげられない。打ち込まれた熱に溺れながら、彼の見る自分の浅ましさに、彼を引きずり込みたい。
(0番線赤青)

好きって言うてよ。せがむだけなら容易いそんな言葉を易々と吐けるならばたぶん、分け目を変える必要もなかったと四つ橋は自覚している。終電過ぎの大国町のホーム、誰もいないから吐き出せる独り言さえ、ずっと、彼に甘えている。好きって、言えるか、あほ、埃を被った駅名看板は、勿論何も答えない。
(0番線赤青)

生駒で拉致されたのは最終の上り。暗いトンネルの中で耐えかねて目を閉じるのは妨げないくせに、ほら、声を掛けられて渋々目を開ければ、視界に散らばるのは大阪の街の光。山上からだともっと綺麗なんですが、そうやって彼の夜景を見せつける近鉄の気が知れない。まして、僅かに口元が緩んだ理由など。
(0番線帝王と緑)

真正面から見られると落ち着かない。目を逸らせば、気の利かない男は、どないしたなんて聞いてくる。眼鏡も取ったそんな至近距離で、どうしたもこうしたもない。いっそ輪郭がぼけるまで近付いて彼の額に額を擦り寄せると、無表情で顎を擽られる。実際気に入らないのに、引っ掻く爪などあるはずもない。
(0番線赤青)

人前でキスとか、人前でなくてもそんなん、思わず叫ぶ。飄々とした御堂筋が、キスしたくないん、と言いながら、取り落とした紙を一枚ずつ拾ってくれた。遅れて、自分でも紙を拾おうと差し伸べた手に手が重なる。御堂筋の手が、と思うと体温が上がる。どしたん、淡々とした口調に滲ませた余裕が悔しい
(御堂筋四つ橋、南港さんの誕生日まんがからその2)

呼んだやん、言われて、眩暈。南港に呼ばれ、真っ当な用件でないのを察して、来てしまう御堂筋の生真面目さに呆れた。彼女がいない隙に事情を話す。呆れ顔の御堂筋に、プレゼント買いにいこか言おうとした。が、別にキス位したるのに、真顔で言われて、四つ橋は手にしていたものをすべて取り落とした。
(御堂筋四つ橋、南港さんの誕生日まんがからその1)

兄、というには気恥ずかしさが勝る。平成に生まれた長堀や今里筋にはむしろ自分たちをまとめて兄「達」であり、四つ橋が御堂筋を兄に見立て甘えるのなんて無理だろう。それでも、無邪気に彼に飛びついて笑えたらどんなにか幸せか。すれ違った大国町で、自分は彼を無愛想に、御堂筋、と呼ぶだけだけど。
(御堂筋四つ橋、兄さんの日)

故あって二人しかいないことを差し引いても御堂筋が好きだった。彼とならば何だって出来ると思っていた。けれども、地上から響く警戒音、走る車体の音、地下に二人取り残されるようで怖くなった。だからお前は知らない、「四つ橋、俺がおるよ」その言葉が今に至るまで残した、俺の甘ったれた小さな手。
(御堂筋四つ橋、四つ橋開業すぐの頃)

小さな手が服の裾を掴む。振り向いた彼は今と変わらない見た目で、にこりともせず、手を払いのけることもしなかった。どうかしたか、どうもしいへん、可愛い声も出せないのは今も変わらない。地下に響く轟音が怖かった。地下鉄なのに反響音が怖いなんて言えなくて、ただ彼の服を掴むので精一杯だった。
(御堂筋四つ橋、四つ橋開業すぐの頃)

この恋が手から零れ落ちるなら、心を捨ててただ走ることが出来る。けれども、たった一駅、向かい合ったホームが邪魔する。「大丈夫か?」疑いもしないで。「何も問題ないよ」よく似た顔、目、手つき、全部彼を見て育った。彼のためにしか走れない。「そうか」たったそれだけの言葉で幸せになれるから。
(御堂筋×四つ橋、大国町駅)