※神職東海道,吸血鬼山陽パラレル。設定についてはあまりちゃんと考証してません
たぶん,自分のしでかしていることをきちんと理解していないのが彼の弱みなのだろうと,山陽は他人事のように思った。白いベッドに寝かされて,天井に見えるのは古い木目だ。何年前からある教会かと尋ねれば,背の低くてまじめを絵に描いたような男は,山陽が吸血鬼になるより古い年代を言った。
おそらく昔はなんらかの家の子供に過ぎなかった自分が,吸血鬼に咬まれて家を放り出されたような気はしている。けれども,もはやそれさえも自分の中の妄想に過ぎないのかと考えることは時にある。たぶん山陽は吸血鬼になったときにすでにそれまでの自分の存在の意味を無くしたのだろう。
それにしても時代は難しくなったものだと思う。昔はたやすく山に迷い込んできた人間からほんの少しだけ血を失敬することができた。ほかの吸血鬼がどういう構造をしているのかはよくわからないけれども,山陽はある程度の傷口には吸血鬼の毒を送り込まない技術を備えていた。だから,襲われた人間を傷つける必要は,ほんの少しの血以外にはなかった。
それが気がつけばずいぶんと文明は進化して,少しの血を失敬することすら難しくなり,結局多数の人間から生かしてもらうのではなく,少数の人間から命をもらう生き方しか選べないようになってきたようだ。山陽はこのところまったく血をすすってはいなかった。人間を殺すのが忍びない,といえば,同じ種族のやたらと薄らとした笑顔の似合う相手は,だから君はやさしいんだよね,とか言っていた。
まぁいずれにしても自分がろくに血も吸えないでぶっ倒れたのは一つの事実であり,すこしばかり人里から離れたこの古い教会の神職が外見にだまされて自分を教会にかくまってくれたのも一つの事実である。
「目が覚めたか」
「ああ」
この教会に来てから目覚めるのは二度目だ。一度目はどこにいるかわからなくて,熱に浮かされるようなふわふわとした感触なのに,それにもかかわらず妙な寒気でがたがたと震えながら,この教会の歴史や,彼の名前や,そういう当たり障りのないやりとりをした。たぶんそのまま山陽はもう一度気を失ったのだろう。
目が覚めても寒気や目眩は治ってはいなかった。本質的にいま自分は栄養失調の状態にあるのだからどうしようもないだろう。東海道はなにかの物音を聞きつけたのだろうか。
「何か食べられるか。ずいぶんと長い間寝ていたが」
「血を飲みたい」
「え」
「ただのお水をもらえるかな」
聞き逃したのか,聞き流したのかわからないけれども,東海道はあっさりと山陽の要望を飲んでくれた。なんだかんだで面倒見の良い相手らしく,それは山陽にとっては困った事態だった。
人がすぐそばにいれば,それだけ血のにおいに敏感になる。そうすれば啜りたくなる。けれども,いまの自分では東海道を殺す勢いになりかねない。
(いけない)
のどの奥の方が閉まる感触がした。空腹が,すぐそこまで迫り上げてくる。やり過ごす単純な手段は,ここを後にするか,そうでなければ東海道を頂くかのどちらかだった。
古い天井からベッドのすぐ横にある窓に目をやる。外は嵐のようだった。このままでは,どこまで逃げていけるかわからない。しかも建物の中ににおいがこもって,単純な人のにおいさえも殺意に変わりかねない。
同じ種族の彼はいざ知らず,山陽は人を殺すような血の啜り方をしたことはない。ほかの動物でも血は血だけれども,やはり吸血鬼というのは本質的に人間の血しかあわないらしい。今時こんなさびれた山に流れ着いて倒れたのは,少しでも人の気配のない方へない方へと逃げてきたからだ。つまり,たぶんここには東海道しかいない。
(やだなぁ)
どちらかしかない,とへこたれる山陽の心地を察しないで,東海道がベッドサイドに戻ってくる。ありがとう,と言って肌掛けから手を出して,失敗した,と思った。
血管にほとんど血が通っていなくて,たぶん末端から白くなると言うのは自分の種族の吸血鬼の特徴なのだろう。血を吸わせてくれるパートナーのいる彼と違い,もう自分にはほとんど血が残っていないのだ。それ自体は手袋でカバーできても,生命の危機を感じてか武器のように伸びた爪が手袋を突き破っていた。早く獲物を狩れ,という身体からのサインなのだろう。
「貴様、そんなに,爪が長かったか?」
「オレね,吸血鬼なんですよ」
口をあまり開かないようにしようとしたのは,たぶん犬歯も爪と同様に尖っているからだ。あまり東海道を怖がらせたくはなかった。ただの行き倒れ人をかくまってくれる彼の心を無駄にしたくなかった。だから,いまのうちに逃げ出してくれるか,自分が逃げねばならない,と山陽は思った。
「もう何日も血を飲んでなくて,いま死にかけなのね。だからこれは体の防衛本能だからあまり気にしないで。それから,もういなくなるからさ,オレのことは忘れてほしいかな」
ベッドから立ち上がろうとしたからだは全力でいろいろな悲鳴を上げていて,もう動けないとか,寒いとか,震えるとか,目の前の男から血を頂いてしまえ,とか。それでもさまざまな意識を振り切って立ち上がろうとした山陽から,東海道は目線をそらすこともなければ,ベッドサイドのテーブルに汲んできた水を置いて,淡々と言った。
「食えばいいだろう」
「は」
「死にかけの相手を放っておけるほど薄情ではない。何も殺されないならば好きにするといい」
「寛大ですね」
「わたしは神職だ」
その言葉を聞いた瞬間,脳裏をよぎったのは東海道の性質だった。つまりこの男は自分の性質を自分自身に相対化して考えているらしい。面倒な人間だと思った。これでいざかみつかれてぎゃんぎゃんいうような,まるでタチの悪い女のような言い分だと思った。
しかしそれ以上にいまどうしようもないのは山陽の体力の方だった。食べていい,と言われて差し出された身体を,拒めるほどの余力はすでに無かった。体を起こしただけの山陽の隣でぼうっと立ったままの東海道の右の手首を,右の手で強く引く。バランスを崩してかくりと崩れ,何か文句を言おうとしたその口が,ひ,と音を立ててかたまるのは見た。けれどもまるで貪欲な女が男を求めるときのような姿勢で上に乗った東海道の,白いうなじを見たとき,すでに山陽はそこにかみつくこと以外を考えながった。せめて服を損なわないように伸びた爪で襟元をくつろげる。外から傷が見えないようにとの配慮もあった。
「や,め」
その声が先までの断言よりもずっと弱々しくて,けれどもじ,と音を立てて犬歯がその血管に食い込んだとき,世界は反転した。ああ,ぎりぎりで,と山陽は必死で本能に歯止めを掛けることだけを考えた。
結局東海道から得られた血のおかげで,東海道を食い殺すなんて出来ない,という理性が,かろうじて本能を破った。犬歯を肉から引き抜き,消毒作用のいかほどあるかわからないけれども舌で傷口を舐める。その瞬間,東海道が,先ほどの恐怖とは違う何かの意図を持ってもう一度息をのんだけれども,命の恩人にそれを指摘するほど山陽も図太くなかった。
「こわかった?」
「だ,れがっ」
「ありがとう。でもオレ東海道のおかげで生きていける。これからはまかり間違っても吸血鬼なんか拾っちゃダメだよ」
これ以上ここにいると東海道をまた食い殺す衝動が来ることを踏まえて,山陽はこの教会を後にするつもりで言った。そうしたら,血を吸われてへにゃりと山陽の体にしなだれかかっていた東海道が,その体勢から山陽の顎に頭突きをぶち込んできた。
「いたっ何すんの!?」
「わたしから血を啜っておいてそのまま去ろうなんて良い度胸だな!」
「ええ東海道オレをどうする気!?」
「こんな田舎でひとりで神職をしていても,小さな仕事がかさんで仕事が回らないのだ! 手伝うがいい」
山陽は仰天した。血を吸われておいて未だこの男そんなことを言うのか,という意味で,だ。試しに「これからも血を吸わせてくれるならね」と言ってみると,「わたしがあれくらいでこわがったとでも思っているのか! 好きなだけ吸えばいい」とか返された。
文明は発展したけれども,世の中は悪い人間ばかりではないのだ,と山陽はほっとした。ほっとしたからといって,吸血鬼が生きて行きやすい世の中になったかと言えばそんなことはこれっぽっちもないけれども。
まだ山陽をどう扱えばいいかわからないからといっていきなりパラレルですか
(しかもこのパラレル設定をたらたら続けそうな自分が怖い)
20090805
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