※東海道本線と京浜東北が両方とも吸血鬼ですが,あいかわらず設定についてはさほど考えていない。
いつからこうだったのだろうと,思い出そうとしても与えられる血に必死な今はわからなかった。京浜東北は東海道に与えられる血を夢中で啜る。ふれる唇はいつも熱くて柔らかくて,不自由な視界でかろうじて知っている整った彼の容貌の中でもたぶんその部分を一番知っている。むしろそれしか知らないなんて,と思うけれども,言えるものならばとっくに言っている。それ以上を知りたいなんて。
「美味いか?」
「ん,美味しい」
キスに似た餌付けの合間に東海道が問うてくる。キスに似た何かのあいだに答える自分の声は少しだけうわずっていた。もっと深みに落ち込んだならば,もっとすごい声を自分が出してしまうこともあるのだろうか。
それが一番効率的だから,と東海道はいつも自分の口腔内を噛んで血をにじませてから,口移しでそれを京浜東北に与える。もう長く東海道の血の味しか知らなかった。京浜東北が少しだけ本能に素直になるときだけ,東海道の首筋にかみついてみたりもするけれども,基本的にいつもこうやってまるで親鳥が雛にするように,血を餌付けられるだけだ。
(それでも僕にはこの生き方しかない)
熱い血が東海道の口から重力に従ってふるりと京浜東北の口腔内に広がる。美味しい,とその場でもう一度小さくつぶやく。血に従うように東海道の舌も口腔内に忍び込んで,京浜東北は夢中でその舌をしゃぶる。血が欲しいのではなくて,あなたが欲しいと,そんなことを言えない代わりに,せめて東海道の衝動をあおるように強く。
東海道も京浜東北も吸血鬼だ。
違うのは視力の弱さだ。京浜東北はこれでもかというくらいに目が見えない。だから本来自分たちの種族が恐れるべき光という物もよくわかるようでわかってはいない。ろうそくの光だ,と言われてそれを感知できるのはその温度故だ。吸血鬼は世に数多いて,果たして京浜東北はたまたま目の見えない種族を引き継いだのか,個体差として視力を弱くしか持てなかったのかはわからない。一つ言えることは,それゆえに京浜東北は生きるのも断念しそうになるほど苦痛ばかり味わっていたと言うことだ。
あるときに森の中で倒れていたらしいところを,東海道に救われた。東海道はおかしな吸血鬼だった。吸血鬼のくせに神職で人間の兄がいる。いつから吸血鬼なのか,生まれたときからなのか,それとも誰かに噛まれたのか,と尋ねても,いつも曖昧なやさしい雰囲気をまとわせるだけで答えをくれなかった。
とにかくこの世話焼きな男は,目の見えない京浜東北に代わりに必要な血を与えてくれるのだ。何度拒んだかは知れない。けれども,東海道がわざわざ口の中を噛みきって京浜東北の唇や舌に血を絡めると,本能が逆らえない。
「ぁ……う」
東海道の舌が京浜東北の口腔内の微妙なところをかすめていく。目が見えない分いつも東海道にすがりついてしまう。たぶん目の前には東海道の顔と,その肩に掛かる衣をつかんでいる自分がいるのだろう。
「満足したか?」
「う……ん」
舌を引き抜かれながら尋ねられて,答える声が曖昧に暈けたのは舌が絡まってうまく回らなかったからだ。やはり東海道の肩をつかんでいる自分の手を知覚したけれども,外そうと思えなかったのでそしらぬ顔でつかんだままにしておいた。
「今日は,お兄さまは」
東海道の兄は一度遠目に見ただけだ。東海道が会わない方が良いというから従っている。
「仕事をしてたから,懺悔に来た人から少し血を拝借してきた」
彼の兄は神職のくせに妙に現金で,懺悔に来た人のことをどうにかして油断させて弟に血を啜らせているのだ。兄ではなく他人の血を吸うのは,兄の血を吸うのは気が咎めるとはいつもの東海道の言い分で,それはなんとなくは理解できる。
ああでも,と東海道の声音が変わる。
「なんか別の吸血鬼を飼ってるらしくて」
この辺りは自分たち以外にも生き残っている吸血鬼が複数いる,のを京浜東北が東海道に告げたときには東海道は驚いていた。たぶん彼は吸血鬼になってからの歴が浅いのだろうと思う。
だから弟の世話をしている兄が他の吸血鬼を飼っているとしてもあり得る話ではあったし,けれどもこの弟はずいぶんと兄を慕っているから,複雑な心境ではあるのだろうと勝手にその心境を補っておく。
「君に囲われてる僕は何も言えないよ」
「囲われてる?」
「もう君がいないと獲物を狩れる気がしないもの。一番最近血を啜った相手の顔も見れなかった。こんな餌付けされて今更どっかに行けなんて言われてもきっとまた行き倒れてしまうでしょ」
肩に掛けたままだった手が,その東海道の体が妙な緊張を走らせるのを感じ取る。何か地雷でも踏んだだろうか,と首をかしげたけれども,降ってきたのは,額に,ほほに,それから唇に一つずつのキスだった。
「お前,何でオレといるの?」
「君に捨てられた後のことが考えられないからだよ」
たぶん東海道よりずっと長生きをしてきたのだろうと思っているし,ずっと多くの相手をたぶらかしてきてだっている。それでもこの男にはどうしていいかわからないから,言葉遊びで困らせる。
「オレだってお前から離れられないんだよ」
「どうして」
「怖いから」
思わず間髪入れずに尋ねると,想像の斜め上を行く回答が跳ね返ってきた。たまらず抱きしめて,どうしていいのか体をこわばらせている東海道に,心を込めて,実現するはずのない約束をするのだ。
「大丈夫,僕は君としか生きられない」
だから早く,早くその身も心も全て許して欲しい。
この京浜東北妙に攻めっぽいんですがまごうことなく右だと信じています。
20090903
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