恋の味は沈黙の香り

 あの、キャンペーンというものが、どれくらいに販促効果があるのか山陽には正直なところ定かではない。東海道共々、移動距離の長い輸送のツールである山陽の需要は、キャンペーンをかけたところで大きく変わるわけではない。むしろ同じ西日本の中では、年末から年明けにかけて大々的に宣伝をかける、かにを食べる日本海側のツアーの方がよほど売れるし、売るべきだと思う。
 西日本には在来の特急がまだ多く残っている。山陽は山陽本線の上を走ることになり、その結果多くの特急がその役目を終えることとなった。だがそれ以外にも、西日本は領域が広く、また南北の方向に縦断する特急は数多く残っている。そういったもののニーズが減るのは寂しいし、増えればうれしい。
 そういう意味で、たとえば大阪駅だとか、京都・神戸駅を発着するような特急の利用を促すためのパックを作ってキャンペーンをかけるのは結構だと山陽は思う。しかし、しかしだ。
「ありがと山陽ー」
 ポスターなどを回収して、ついでに新大阪近辺での新潟行きのパックの売り上げ状況などの報告書もまとめて、東京駅で上越に落ち合う。その笑顔に取り立てて新しい感情を覚えることはない。必要なものを渡す。宣伝期間はほぼ年内いっぱいだったので、キャンペーンが終わってしまっていても潜在的なニーズがあるとして、年度いっぱいくらいまで宣伝効果があるのだろうか。
「西からの顧客増えたか?」
「うーん、山手線とかにも協力してもらったから、全体的に乗客はいつもよりは多かったよ。西の方からかどうかはわからないけど」
 かわいくない模範解答である。こういうときに少しは山陽のおかげで、とうそでも言いから言えたならば、上越新幹線という路線はともかく、彼自身はもう少しばかり心地よく生きられるだろうにと思うのだが。
 今日は機嫌がそれほど良くはないようだった。悪くはないにしても、硬い笑顔が貼り付いていた。それを破ってやるのはたぶん、山陽の仕事ではない。山陽はもっとどうしようもないドル箱を甘やかす仕事があるし、東日本の大黒柱がこの笑顔をはぎ取ってひとしきり泣かせてから慰めるだろう。それでも、上越が不機嫌なままであるのを放っておくのは些か気が咎めた。
「じゃあ喜んでおけよ」
「そうだね」
 単純に売り上げが上がった事実を悲しむような、そんな行動はさすがの上越もしない。そう思ったのだけれども、皮肉げな表情は相変わらずだった。なんか地雷を踏んだかな、と思う山陽のことを、微笑をたたえてきつくにらみ据える。それを器用な芸当だと思うし、その瞬間、こんな性悪な彼を可愛いと思うのは、世も末だとも思う。
「僕ももっと、君がしょっちゅう来たいと思うような路線ならいいけどね」
 おやおや、どうして、いつのまに彼のデリケートゾーンに触れてしまったのだろうか。山陽は自分が踏み抜いた地雷について思いを馳せたけれども、残念ながらそのきっかけをうまく読みとくことは出来なかった。
 だいたいいつものことだけれども。
「おまえのところにはこんだけ沢山売りがあるって客はわかったんだ、これからもどんどん利用者増えるだろ」
「楽観的」
 山陽の口にした慰めのような何かを、上越はぴしゃりと跳ねのけた。実際上越が今回どのようなことを考えたのか、山陽は満足に知らない。ただ、たぶんこれから何を言ってもろくに聞き入れてはくれないし、振り回されるだけ振り回されるだろうから、山陽はわざとはぐらかす。
「旨いものがあるってのは、それだけでいいことだぞ」
「……そう?」
 ここで機嫌がよい方に傾くとはどういうことだろうか、彼の言いたいことはいつも通りわからない。目の力がゆるんで、ふにゃりとすこしだけ目尻が垂れるのは、贔屓目には少なくともかわいく見えた。だから山陽は誤魔化すと言うよりも、もう少しの下心を乗せて畳みかけた。
「そうだよ、旨いもの食いたいなら、かにかにエクスプレス乗りにくるか?」
「君が200系に乗りにおいでよ」
 そう言いながら上越は、ふふん、と笑いながらと受け取った報告書を楽しそうに眺めている。つくづく彼の琴線はわからないけれども。
「新潟に来るなら、E1のグリーン席とすてきなお宿用意して待っててあげる」
 そう言う彼が楽しそうなので、まぁいいか、と思うことにしておいた。
20100117コミックシティで配布したものを再録
20100215


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