じゃれついて,噛み付いて

01 山崎



 起きたらネコミミが生えていた。
「え」
 さしもの上越も自体にうんざりしてとりあえず一度疑問符を発しておいた。だいたいの出来事には仕方がないから今まで対応してきた。けれども今回は少し訳が違う。だって,起きたらネコミミって。
 どういうこと。
 しかも寝覚めが最悪だ。どうして起きたって,頭の上に何か乗っている感触で起きたのだ。それは日頃ならばそれなりに喜んだり拒んだり出来る東北の手だった。その手がふわふわとさわっていたのは自分の頭に付いているよくわからないネコミミだった。ふわふわというかもはやもふもふである。
「東北,これ,なに」
 思ったより声がかすれてどうしようもないので上越は嫌な顔をした。声がかすれてどうしようもないのは誰のせいかと言われたら昨日のこの男のせいだ。いやでも確かに勝手に啼いたのは自分だけれども。それにしたってもはや理解に苦しむ。
「知らん。起きたらお前に付いていた」
「そ」
 ため息をもらして,とりあえずついているネコミミを引っ張ってみる。想像は出来たけれども取れなかった。一応それなりにネコっぽい感触だ。残念ながらたぶん血管だとか神経だとかも通っている。つまり引っ張ってとれるものではないらしい。
 どうもそれは一応東北が試みてくれたらしい。ダメだった,と言わん気に首を左右に振られた。というか上越が起きたのはおそらくその引っ張られている違和感だったからだろう。
 時計を見れば目覚ましをセットしている5分前だった。外はもう明るい。から,東北の一晩寝てすこしだけ髭の生えた顎も見える。いつもならばもっと甘えられるのに。いろいろと動揺して体が追いつかない。けれどもせいいっぱいネコミミのままでその顎にぐりぐりと甘えるように頭を押しつける。すこしだけとげとげした感触が,今は妙にそれでもほっとした。
 寝返りを打つと腰の辺りに慣れない感触があった。もはや続けて気づけば驚かない。いや驚いた方がいいと思うけれど。耳と違って,尾の方は首をひねればその存在が見えた。黒いふさふさの長い尾。
「……なんで東北にはついてないの」
「俺に付いていてもなにも楽しくないだろう」
「僕なら楽しいの?」
「さあ」
 言いながら東北はたぶん何の気なく(だと信じている),尾をさわった。どんなものかさわってみたかったのだろう。しかしこれがひどかった。上越は思わずびゃっと顔を上げる。声はなんとかかみ殺した。東北の目の奥の方が一度うれしそうにゆがんだのは見た。
「ほんと,悪趣味」
 敢えてスルーした寝起きの生理反応を起こしている東北の下半身を,無理矢理またいで膝で擦った。捕まったままの尾を緩急をつけて握られるとを支える肘と膝が軽く崩れそうになるけれど,なんだか負けたくないので肩口に顔を埋めて必死に声も堪える。東北がネコミミの位置で低く笑った。
 ただでさえ普通の耳でも割と感度がいいのに(そういえばいま耳が四つあることは気にしない方がいいのだろうか),ネコのように神経の尖った器官に変わってしまえばどうしようもなくなるらしい。
「ひゃぅ」
 聞きたくもないような声がこぼれて,そしてジリリリリ,と本来鳴るべきだった目覚ましが鳴った。
 はじかれたように東北の上から降りる。いろいろとどうしたものかわからないが,とりあえず着替えて仕事に出ないと仕方がない。
 自分の意思と関係なしに尾が立つ。どうも珍しく東北相手に警戒しているらしい。
「ちゃんとフォローしてよね」
「長野に頼まなくていいのか?」
「君にしか頼めないから言ってるんでしょ」
 言い捨てて,洗面所に逃げてから。言ったことの恥ずかしさに,とりあえず一回へたり込んだ。

「じょうえつせんぱい,にゃんこですね!!」
 長野の大きな瞳がきらきらと見上げてくる。
 いろいろと制服の着付けの関係で尾が押さえつけられていたり,いつもよりも少し膝を折って歩いて目立たないように心がけている。開き直って姿をさらしたところ,高速鉄道の面々もその状況を見て,今日は東京駅の高速鉄道の会議室から,上越を出さない方向で一致した。
 と面々と言っても,最も重要な高速鉄道がまだ現れていない。ついでに最も重要な高速鉄道と接続している彼も現れていない。電車は動いているから遅延じゃないと思うんだけれど,と秋田はきょろり,と会議室を見渡した。
「とりあえず僕たちは行くよ」
「上越,留守番頼むべ」
 みんなが言いたいことを言って出て行く。長野だけ尾に触りたそうに背伸びをしてきたので,上越は苦笑いしながら差し出してやった。もう抵抗する気にもならない。
 朝東北にさわられた段階でちょっと予想外のことがおこったから,少し息をのんで覚悟をしていたけれども,長野がぎゅ,と握っても案外平気だった。たぶん気を許しているかどうかとかだろう。
「ほんとににゃんこですね!」
「ほんとに猫になっちゃったみたい。長野も耳欲しい?」
 長野は上越を見上げて,ふるふる,と首を振った。
「じょうえつせんぱいだから,かわいいんです」
「ほんとに? ありがとう長野,そろそろいっておいで」
 いつものふわふわした長野の髪を一撫で。こんなにかわいい生き物にネコのオプションがつけば癒されるものを,と思って,上越は長野が駆けだしていくのを手を振って見送る。そして,会議室にまだ残って壁にもたれている東北に,容赦のない一瞥をくれる。
「いっておいでよ東北」
「俺はダメなのか?」
「何が」
「尾」
 一瞬本気で意味がわからなくて首をかしげてから,ああ,と溜飲が降りる。長野が握って良くて,東北が握ってはいけないとは何事か,とこの男は聞いているのだ。馬鹿じゃないのか。
 しかし上越がそうやって,たぶんひどい視線で見下ろしているのに,東北と来たらまったく気にしないで歩み寄ってくる。何を考えているかわかりにくい男だ。一歩引いて構える。それ以上の逃げようがなかったのは,背後がもう壁だったからだ。
 東北はおもむろに上越の目の前で立ち止まる。
「なあに?」
 上越がにらみつけるのに構わず,東北は尾を拾い上げる。上越は息をのむ。さっき長野が平気だったんだから,東北だって,と思ったけれど結局,東北に握られるその感触は,ある意味前を握られるのよりも想像が出来なくてひどかった。
 息をのんで声だけは堪えるけれど,覚悟が間に合わなかった肩は跳ねた。さっさと仕事に行けば,と言おうと思ったけれど,本来この男は今日,東京詰めだったのだ。思い出してしまって,これはどうしようもなくなった,と理解した。
「息が上がってるぞ」
「うるさぁ……い」
 抵抗しようと口を開いた瞬間握り込まれて息が抜けた。さっき仕事を任せたのにこの様,と上越は他人事のように思った。
「いい子にしてられるか」
「ど……いう……こと?」
「妙なことを思いつくなよ」
「今日は……僕が損するじゃない……」
 本当に信頼されていない。
 ある意味信頼されているのかも知れない。
 言い返したのが東北の気にくわなかったらしく,少し膝を折った上越の肩を押さえつけて,背伸びをした東北がネコミミを噛む。
「はぅ」
 漏れた声は絶対に自分のものじゃない。
 じと,とにらみつける目線に力がないのは自分でもわかる。いっそのこと,と東北の首の後ろに腕を回す。詰め襟は隙がないけれども,顔は覆えない。
 目を開いたまま,唇を触れあわす。
「おい」
「君が悪い」
 東北の歯列の間に舌を割り込ませる。たしなめた割に絡めてくる舌やその口は快楽に従順で,ある意味こんな風にこの男まで乗ってくるならネコミミだって悪くはないかも知れないと思った。思ったけれども。
 廊下を歩いてくる二組の足音に,上越から手をほどく。東北も自然に舌をほどいた。とりあえず,植物の裏に隠れる上越をかばうように,東北が部屋の入り口に向かう。
 がちゃり,扉が開いて,聞き慣れた声に上越は脱力した。
「あれ東北,まだミーティング残ってたの」
「猫の世話をしていた」
「ちょっとなんでそんないらないこというの」
 山陽の声だったので,植物の裏からちらりと上越はのぞいた。あ,と目が合う山陽の目線は確実に上越の目よりも少し上に泳いだ。
「あれ上越もなの」
「も,って」
「東海道良かったな,一人じゃないらしいぞ」
「山陽! 要らないことをいうな!」
 聞き慣れた甲高い声に,上越はいろいろ察してうんざりした。
 それでも一人じゃないという知識を吹き込まれたのか東海道は少し安心したのか,そもそも安心していい状況でないことはわかりきっているのだが,それでも顔をひょこりとだした。そちらにも同じ黒い耳。とたぶん,尾。
「昨日の夕飯で悪いモンでも食ったんだろ?」
「俺は昨日上越と一緒のものを食べたのだろうか?」
「知らない」
 上越と東海道が同じような表情をしてうんざりするのと,東北と山陽が同じような表情(東北を見慣れた上越には,東北が下心全開の嫌らしい顔をしているのがよくわかる)を浮かべている。この空間がいろいろとおかしいことはわかるのだが,とりあえず,と山陽は会議室の扉を閉めた。それならまだわかるが,ついでに内側から鍵も掛けた。
「今,君ろくでもないこと考えてるでしょ?」
「なんのこと?」
 山陽がにやにやしながら上越に近づいてくる。東海道は不安そうな目で山陽を見ながらも,一応東北に朝のミーティングの内容を尋ねている。さすがは日本を代表する高速鉄道だけある。その責任感を接続しているこのちゃらちゃらした茶髪にも持たせるべきだ。同じ顔をしているんだし。
 ああでも,山陽が東海道みたいにきまじめになっちゃったら嫌だな。上越は思った。だって,山陽と上越は仲の良い遊び相手だし。上越の気まぐれに,つきあって遊んでくれるのは山陽だ。東北はつきあってはくれない。その上を行くリアクションをされて動揺することはあるけれど。
 山陽はいきなり上越の尾を掴んだ。
「ひっ」
「あーやっぱ東海道と同じだな。ちゃんと神経通ってんのな」
「山陽」
 東北の声が思ったより低い。嫉妬してるの,と聞こうかと思ったけれど一応ためらった。山陽はともかく東海道は巻き込みたくない。
「まぁ待てよ東北,もし上越の方に何かヒントがあればなんでこうなったかもわかるかもしんないだろ。東海道はひぃひぃ言うばっかりであんまり何もわかんなかったからな」
「おっまえが,べたべたさわるから」
「へー東海道朝から山陽にさわられたんだ」
 やられっぱなしなのは癪だし,とりあえず東海道をいじめておいた。山陽の目がすこしだけ本気になって,ただ握っていただけの手が滑り出す。
「ひゃぅ」
「東海道をいじめないでくれる?」
 この男の前で,上越が東海道をいじめるとどうなるかな,と意地悪く上越は思った。けれどもそのいたずらな上越の目の光を察したのだろう,山陽は尾を口にくわえた。
 思わぬ衝撃に,声が裏返った。
「んあぁっ!」
「へー上越いい声出すね」
 山陽は左手で上着の飾り紐をほどく。手慣れているな,と思った。そりゃそうだ。誰よりも制服をきちんと着込む男を剥き慣れてるのだ,この男は。ちょっとそこで本気になっちゃう,と尋ねようと思ったけれど,山陽の後ろで相変わらず何を考えているかわからない東北が,まだ動かないのが悔しいから,もう少しだけ山陽に流されるという選択肢を取ろうと決意してやる。
 ついでに下半身の着衣を左手でくつろげながら,山陽が長い足の腿辺りを使って上越の性器を押さえてくる。ちなみに東海道は見ない。怖いから。
「やぁっ」
 さすがに性器への直接的な刺激はきつくて,目をつむって天を仰ぐ。前だけくつろげられた上着の中から見えるのだろう首筋を舐め上げられた。もう一度声が漏れたとたん,上越を押さえつけていた山陽の体が離れる。
(やっと動いた)
 歓喜がわき起こる。こんなときまで東北を振り回して自分は満足するらしい。まったくどうしようもない。
 うっすら目を開けて東北だと確認すると,何か言わせる前にさっき中断したキスをもう一度仕掛ける。自分から腕を絡めたのは,幾分は動揺しているのと,幾分は本気でどうしようもないのと。
「ああもう,お熱いこと」
「っ山陽!」
 怒りたそうな東海道の声が聞こえてきて,ああ,仕返ししてやろう,と上越は決意をした。だって自分がダシに使われるなんて癪だし。口の中に入り込んできている東北の舌を軽く噛んで,目を合わせていつものように笑うと,東北は上越がろくでもないことを企んでいるのをわかっているだろうにおとなしく体を離してくれた。
 つまり,山陽に仕返しをしてこいと言うことだろう。悪趣味な男であることは昔から知っている。



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